落合川の上流端をたずねる

上流端を求めて妻と落合川を遡る。

自宅から少し歩いて川辺に着いた直後には、菜の花咲く群生のイエローに狂喜したものの、持ってきたデジタルカメラの電池が切れていることを知り、そのまま数秒のあいだ失意の去るのをじっと待つ。このうえは、ただひたすらに春の兆しを堪能する一日とすることに決めた。

陽光のなか、家鴨が水かきをしたり、鯉がふいに暴れたり、水草がゆらゆらしたり、リトルリーグが声を出して行ったり、ペタペタジョギングしていたり、ザリガニを狙う少年の顔に光が揺らめいたり、犬が吠えるのを忘れたり。そのうえ浅瀬の流れや小禽の羽音に滲む人の声さえもが、もうすっかり春めいている。

合川の遊歩道にある樹木には、ところどころ名札が下げられて、妻は必ず ”あぶらちゃん” の前でその名札を読む。その名を横で聞きながら、自分は吉田戦車の『油断ちゃん』を思い出したりしている。

そのうち、小学生の女の子が3人、川沿いのやや低めの樹木に登って遊んでいるところに行き逢った。「それ、”折れちゃってる系”?」「いや、”折っちゃった系”だね」、女の子の1人が、不恰好に折れ曲がった細枝を確かめるように弄んでいる。たしかに「系」という字の成り立ちは、糸が物にひっかかっている様を表したものらしいので、”折れちゃってる系”とか”折っちゃった系”という表現は、的確すぎるくらいに的確なものに思われるが、しかし彼女たちが使用した「系」には、”セカイ系”とか、”何系でもない”とかいう”ネットでよく耳にする系”の語感が伴われていて、あるいはインターネット掲示板などで使われる「スレ(thread:糸)」というキーワードへの想起をも意図したのではないのかと勘繰ってみるのもいとをかし。

本当は途中から黒目川に乗りかえて、さらにまだ見ぬ西方へと遠征するつもりだったのだが、冬のあいだに怠けていたせいか、1時間も歩いてみればもう脚が疲れているようなので、また同じように歩いて帰ることを考慮しながら、落合川の上流端だけを見届けて折り返す。

帰り道でぼちぼち妻が無口になったようなので、その辺で適当に蕎麦屋など見つけて遅い昼食。久しぶりにたぬきそばを食べたいと思ったのだが、妻が天ざるを注文するというものだから、値段で負けるのがシャクなので、天ざるを2つ注文し、自分の分だけは大盛りにしてもらった。

合川の川沿いを往復2時間くらいは歩いたと思うが、そのままの脚でさらに駅前の図書館と書店にも遠征し、ようやく帰宅した頃にはもう日没近くなっていた。書店では『テルマエ・ロマエ』(第1巻)を購入した。