読書会

木蓮生を好んで読む人がいて、その人の提案で、今月のテキストは紫式部源氏物語』になった。長い話なので、ときどき、少しずつ、日数をかけて読んで行こうということにして、今回はまず始めの三帖(桐壺、箒木、空蝉まで)を読んで集まった。1ヶ月に読む古典の分量としては適量だったと思う。内容が分かれば会話はできるので、訳本でもよいことにしていたが、みな原文も読んできていた。最初の部分を朗読したいという人もいて、しっかりと言葉の美しさを味わった。本当は海外の作品もみな原文で読みたいと思っているのだ。

あらためて気がついたのは、これが悲しみの底から始まる物語だったことで、この悲しみが読み進めるあいだもずっと通奏低音のように響いていることだ。雨夜の品定めのあいだも、空蝉の術に惑わされたときも、源氏の様子は、母のない子が悲しみの底にいるようだ。まあ、いいか。

それにしても、文学女子たちに品定めをされているのはもはや源氏や中将たちの方である。このわずか十数年で価値観は大きく変化して日本社会はジェンダー意識に大きく目覚めたわけで、この時代にあって『源氏物語』をどう読むか、そういう楽しみ方が増えたことをまずは喜びたいと思う。

とはいえいつでも読書会が楽しいのはそのあとの二次会で、つまりお酒が入ってからである。文学に酒といえば井伏鱒二について語りたいところだがそれはさておき、「さておき」と言えば不思議に脱線するのがあたりまえのところが井伏鱒二の随筆の良いところなのだが、まあいいか。

読書会の二次会なのだからもちろん読んだ本の話もするけれど、いい気候だなとか、もう一杯飲もうかとか、寒くなったねえとか、文学混じりのアルコールを飲むわけだから、みんな溢れ出す情緒にすっかり溺れてしまうのだ。