しばらく

PASMOのチャージをしようとしたら、となりの券売機で老人が唸っている。5千円札を入れようとしているのに券売機がお札を受け容れてくれないのだ。「どうしてかな」と老人の手の先で震える紙幣が差し込み口を彷徨っている。見かねたものだから「やりましょうか」「お願いします」と樋口一葉肖像画を受け取って、多少は心得のあるつもりの自分が同じようにやってみるけれど、確かにこの券売機はお札を食べてくれない。二、三回試みたがまるで機械のように反応しない。苦々しい思いで券売機の画面を睨みつけると『初めからやり直してください』というメッセージが表示されていた。

老人にいったんPASMOを取り除いてもらって、もう一度やり直したらチャージできた。やれやれ……振り返って自分のほうの券売機の画面を見ると、初めからやり直してください画面になっている。置きっぱなしの自分のPASMOを取り除いて、もう一度やり直した。

画面をしばらく放置するとやり直しを迫られる。青年時代の慣れない恋愛みたいだ。それにしても、やりなおしの判定時間が老人には短か過ぎるのではないか。

そういえば、銀行のATMでも似たようなことがあった。土曜だか日曜だかATMに行ったら、老人が一人だけで、キャッシュディスペンサーの前に立って機械を眺めたりちょっと触ったりしている。なんとなく悲しそうでもある。なにか新手の振り込め詐欺の被害に遭っているのではないかと思って声をかけてみたら、キャッシュカードが出てこないんだという。それはやはりとても悲しく恐ろしいことだと思うので、機械に備え付けの電話機をとって中の人に問い質してみたら、引き落とし操作などの末に吐き出されたキャッシュカードは、しばらく受け取らずにおくと再び機械が飲み込んでしまう仕組みになっているのだそうだ。このときも「しばらく」の基準が老人には早すぎるのだと思った。

その日は土曜だか日曜だかだったので、あらためて平日の銀行の営業時間に受け取りに来るようにとのことで、その老人にも月曜日にまた来られますかと伝えたが、それまでお金に困らないだろうかと曲がった背中を見送りながら切ない気分になった。

「年をとると反射神経が鈍るよね」とかそういうことが言いたいのではなくて、これはジェネレーションギャップなのではないだろうか。育ってきた環境が違うからすれ違いは否めない。「待つ」ときの時間感覚も違うのではないかと思う。自分が老人になる頃には、「しばらく」と言ったらアクビ一回分くらいが常識になっているかも知れない。