亡くなった母には独創的なところがあって

亡くなった母には独創的なところがあって、息子の友達が遊びに来ると知れば、はりきってワカメとベーコンのパスタを作るような人だった。こういうのは初めて食べるなあ、という友達の様子を見て、オレもだよと思ったりした。あるいは、溶いた卵を寒天に流して羊羹みたいなものをオヤツに作ってくれたりもした(注:「べろべろ」というらしい)。美味しくないなあと思っていたが、いまとなっては懐かしくもある。

そういえば幼稚園に通っていた頃のある日、持たされた弁当箱を開けてみたら、蒟蒻とヒジキだけの混ぜご飯が詰められていたことがあった。山のものと海のものとの組み合わせではあるから、母にも考えるところはあったのだろうが、5歳の私には難問だった。その弁当箱を持って先生に相談に行ったら、

「かんばって、はんぶんだけたべてみて」

と言われたので、席に戻って、頑張って、半分だけ食べて、再び先生のところに報告に行くと、

「がんばって、もうはんぶん」と言われたので、また席に戻って、頑張って、さっきの半分を食べて……何度目かにすっかり食べ終わってしまったときには、大人とは大したものだと思った。

今日だか、昨日だか、パクジミンの誕生日ということで、妻が新大久保駅の界隈に行ってみたいというので付き添うことになった。西武新宿駅の北口辺りから新大久保駅に向かって歩いて、新大久保駅前で折れて、大通りに沿って戸山方面へ、妻の気が済むようにのんびりと歩く。どの店にもパクジミンの写真が飾ってあったり、美味しそうな料理の看板が並んでいたり、とにかく沢山の人がいる。妻はすっかり気遅れした様子だった。

賑やかな街並みを抜けて、戸山公園まで足を運んでみたら、私の記憶に残るその幼稚園が当時の姿のままで建っていた。建物を一回りしてから箱根山に登ると、昔は淋しくなるほど見晴らしが良かった展望台が、いまは大きく育った桜や松に周りを囲まれている。花の季節などは楽しそうだ。木立の中の幼稚園を見下ろしながら、いまも変わらずにあることを母にも知らせたかったなと思った。そして自分は何か大変なミスをしたような気分になった。それは帰り道に妻がホットクを買い食いしながらジャンバーの裾にこぼしたハチミツをウエットティシューで拭きとってやる間まで続いた。