休暇をもらったので、とにかく家を出る。妻が後からついてきて何処へ行くのかとしつこく聞くので 「旅だ」 とだけ答える。男のロマンがわからんのか。いずれの時よりか漂泊のおもひやまず、行く先など二の次の問題なのである。とはいうものの、乗った電車は西武球場前で止まってしまった。改札を出て大きなドームの傍で妻といっしょに案内板を眺める。かつて ”インボイス” と呼ばれたこのドームは、いまは ”グッドウィル” と名を変えたらしい。案内板には新しい名前のシールが旧い名前の上から貼られている。また変わるのかも知れない。平日の昼間でしかも今日は試合がない日ということで、とにかく人の気配が無くてとても淋しい。どうするのかとまた妻が聞くので、「旅だ」 とだけ応えながら駅の事務室で周辺地図らしきものをもらい、その紙切れを一瞥してから狭山湖に行くと心に決める。風は肌に冷たく、曇り空を見上げれば雨降りも心配でもあったが、歩いてみればそれほど大した距離ではなかった。真直ぐ伸びた狭山湖堰堤上の遊歩道にもやはり人影はなく、張りつめた湖面の向こうには花曇りのせいか富士山はおろか秩父連山の影もなく、一羽の白鷺が空の灰、湖の灰にも汚されることなく静かに宙を滑っていく。低い丘陵に囲まれた鏡の湖面は、西に向かって二つに分かれて奥に伸びており、その水路にときどき雲の切れ間から太陽の光が射し込んだりする。この不思議な光景はどうしたことか。いましもあの西方の地平線上に、光の巨人が立ち現われて身勝手な奇跡を起こしそうな気配さえ漂っている。神の国があるとしたら、あるいはこうした所ではないのか。しばらく湖を呆然と眺めて過ごす。そのうちに風が強くなってきてツバクロがビュンビュン流され始めたので、妻の帽子を取り上げて再び駅に引き返すことにする。途中、金乗院の千手観音を参拝し、御堂の周囲に廻らされたプレイグベルを片端から転がしたりもする。寺院の境内に飼われていた数羽の孔雀が交互にキェーと啼く声を背に聴きながら西武球場前駅まで戻り、そこからウェスタンリバー鉄道みたいなレオライナー号に乗り、線路が無いよとうろたえつつ、一番前の座席で運転手の所作など覗き込みながら西武園まで移動。降りたホームには西武鉄道らしい黄色い車輌が待っていて、レオライナーに同乗していた人々が慌ててそれに乗り換えるので、なんとなく自分達も真似をして追いかけて乗車してみたら、それが西武多摩湖線とかいう路線であったことが走り出した列車の社内放送で判明。何処へ連れて行かれるかよくわからないので、一つ目の武蔵大和駅で無雑作に降り、突然この土地に見覚えがあると言い出した妻のランダム再生機能を備えた記憶を頼りに、そのまま多摩湖探索に乗り出すことにする。妻の支離滅裂な記憶では、道筋までは判らないようなので、駅から少し歩いたところにシュールな案内板を見つけたのを幸いにこれをじっと睨みつけてから本格的に進軍。ゆるい登り坂の歩道の脇から丘陵地帯に潜り込んで林の中をどんどん登っていくと、だんだん何処だか判らなくなる。シュールな案内板だったからな。運よく進行方向から案内人らしき老人が歩いてくるので道を訊ねてみると、方向性は間違っていないと意味深なことを言う。そこで天上の何ものかに新たな決意を示してみせようとしたら雨。予想はしていたが意外に早かった。ふらりと出てきた身ゆえ当然雨具は持っておらぬわけで、ぽつりぽつりと大人しく落ちて来てくれているうちに大急ぎで走って武蔵大和駅まで引き返す。西武多摩湖線は単線なので、列車がどちらからくるかは判らなかったが、やって来た列車に乗ろうと決めて待つ。5分ほど待つと、さきほど降りた列車と同じ小平行きだった。運命にしたがって小平駅まで移動。小平駅西武遊園地駅の間には線路沿いに桜の木が沢山植えられていることを発見したので、来年の花見には、小平駅⇒(多摩湖線)⇒武蔵大和駅多摩湖沿い(ここは桜の名所)を散策、西武遊園地駅⇒(レオライナー)⇒西武球場前駅西武球場前駅から歩いて狭山湖畔でお弁当、という計画で臨まむと新たなる決意を胸に秘めつつ小平駅から西武線を乗り継いで地元まで帰って来る。