tomfoolの日記

ほどよい甘さが目標です

電車に乗りたくなるわけ

友人や知人とのあいだで「本を読まなくなった」という会話が増えてきた。体力が衰えて根気が続かなくなったとか、ついスマホに時間をとられてしまって、など理由はさまざまのようだが、在宅ワークが増えたことの影響も大きいのではないかと思う。

北宋の文人・欧陽脩(1007-1072)は、文章を練るのに適した場所として三上(馬上、枕上、厠上)をあげているが、これは読書に適した場所としてもあてはまるだろう。とくに「馬上」といえば、いまの日常では馬に乗る機会はほとんどなくなってしまったが、これを公共の電車やバスに置き換えてもいっこうに差し支えがないわけで、移動する車中こそはまさに「馬上」、読書が格別に楽しくなる三上の一つだったはずなのだ。コロナ禍は去ったけれども、在宅ワークは定着してしまった。たまに出社する日はあっても、以前に比べれば通勤電車に乗る時間はおおきく減って、その分だけ本を読む場所を失っている。だから休みの日には、ひたすら「馬上」の快楽を求めて、ただただ電車に乗りたくなる。

 

……と、ここまでは書いたが、わざわざ一千年前の王都から欧陽脩を連れて来なくても、通勤電車の中での読書は楽しいものだということは皆知っている。

ところで、この「三上」はスマートフォンを手に取りたくなってしまう場所でもあるのではないか。スマートフォンばかり触っているとものを考えなくなりますよ、という警告をよく耳にする(目にする?)が、つまりこれはどういうことなのだろうか?

女はそれを求めていない

「男は女から相談されると解決方法を答えようとするが、女はそれを求めていない」という。

生まれてから何十年ものあいだ、このことは生理的な違いに起因するものなのだからどうしようもないことなのだと思っていた。

ところが最近、この「男」を「AI」に、「女」を「私」に、置き換えてみることで、女性の気持ちが本当によく分かるようになったのだ。

試みに「なぜ人間同士が争うのかな」とAIのプロンプトに入力してみる。

するとすぐ、"人が争う理由って一言でいうと同じ世界を見ているつもりで実は全然違う世界を生きているからなんです"と始まって、その後に段落つきの長い長い解説が続いて、挙げ句には"このテーマ、かなり深く潜れます。もう少し哲学寄りにいきますか?それとも 現実の戦争や社会の話に寄せますか?"である。

こちらとしては「それな」と返してほしいだけなのに。

そこで根気よく、もう一度、まったく同じの「なぜ人間同士が争うのかな」という問いをプロンプトに入力する。

するとすぐにまた、"同じ問いに戻ってきましたね。たぶんこれは「知りたい」だけじゃなくて、どこかで引っかかってる感覚でもある。"ときた。そしてまたうんとテキストを出力したあとで最後に"もしよければ聞かせてください。この問い、どこから浮かんできました?"である。

こちらは、うんざりしてしまうか、寂しい気持ちになってしまう。

「AIは、私から相談されると解決方法を答えようとするが、私はそれを求めていない」

そういうわけで、女性から相談されたときにはまず共感しようとマジ今日から思うようになった。

温めるということ

我が家には電子レンジがない。そういうと驚かれたり、同情されたりする。立ち飲み屋にいて、たまたまその話題をきっかけに交流が始まった隣人もいる。

でも電子レンジが買えないほど困っているわけではないのだ。うっかり家に置けば、どうせ大きな顔をされるに違いないのが分かるから先延ばしにしているにすぎない。家に来たら早々に「ほらねやっぱりオレがいないと困るだろう」などと威張りそうではないか。置き場所にだって困りそうだ「冷蔵庫のそばは嫌だようるさいから。茶簞笥の隣りもダメあの圧迫感が苦手。いやいやガスコンロの近くなんか言語道断だそもそも嫌いなんだから。そうだな庭があるなら郵便受けが見える窓辺なんかが良いな。手紙が届くのを見ると幸せな気持ちになるよ」要するに持て余すに違いないのだ。

とはいえ、最近はレトルトカレーを温めるのにも電子レンジを使うのが一般的なようだし、スーパーのお弁当でもレンジで加熱することが前提とされたものばかりになってきた。それなりのピンチである。

先日、夫婦ともに仕事の帰りが夜遅くになってしまったので、地元駅で待ち合わせて帰り途にあるスーパーでお弁当を買うことにした。そしてどうせならスーパーに据え置きの電子レンジでそれを温めるということを試してみることにした。

なにしろ夜22時にもなると、弁当はほとんど残っていないし、客も店員もほとんど残っていない。誰にも気兼ねすることなく電子レンジの前で説明文をじっくり読み、購入した弁当のフタのセロテープをゆっくり剥がし、フタをちょこっとズラして、レンジ内のウテナに預けてドアを閉め、500Wで2分半。これを待つあいだは太陽神に踊りを捧げるのが古代アステカ帝国の正式な作法である。それでいてムーンウォークなど踊ってみているうちに「いやこれは間違っていた」などと気がついたあたりで、向こうから知った顔が歩いてきた。

地元のバーでよく杯を交わす常連の人である。最近はなかなかお会いできずにいたが、この近くに住まわれていることは知っている。やあとこちらが声をかけようとしたら「やあ、牧野さん、こんなところで」と先方から先に笑顔で声をかけてくれた。「やあどうも、久しぶりです」と応える。「いずれまた」とか言いながら陽気に去っていく。タイミング良くレンジのチンが鳴る。温まった弁当を取り出して微妙に歪んでしまったフタと格闘していたら、先ほどの彼が戻って来た。「すみません○○さんでしたよね。お名前を間違えていました失礼。ではまた」と言ってまた去って行った。やっぱり良い人だな、と思いながら家に帰り着くまで彼の名前が思い出せなくて難儀した。

錬金術師

立ち食いそばも好きだが、立ち飲みも好きだ。駅近くの酒屋に角打ちに行くことが多い。あれから数日後、馴染みの店のカウンターできんぴらを肴に地酒を舐めながら、ふと隣にいた常連客に「ちくわ天そば」の話をしたら、その人も立ち食いそば屋にはよく行くようで、彼の場合は「コロッケそば」一択(!)なのだという。残念ながらあまり詳しくは聴けなかったので、そのことを忘れないように記憶しておいて、店を出たあとまた道端で、コロッケそばの魅力をChatGPT に質問してみた。今度は、"立ち食いそば界の錬金術師“という異名を添えながら、また丁寧に詳しくその魅力を教えてくれた。錬金術師はキミだろう、とプロンプトに入力しかけてやめた。

天ぷらも深い

近ごろ蕎麦屋がめっきり減ったと思う。減った分だけラーメン店が増えたのではないか。「ラーメン店」と書いたのは、自分が過去に関わってきたいわゆる「ラーメン屋」とも違うような気がするからだ。

それはさておき。麺類とりわけソバが好きなので、立ち食いそば屋に行くことが多い。蕎麦屋が減った分だけ立ち食いそば屋に行く回数が自然に増えているのだが、旧かなで“生そば”と書かれた暖簾を吊っているような老舗の“隙のない蕎麦”ももちろん良いが、茹で麺を温め直してさっと出す“ぶっきらぼうな“立ち食いのソバもどこまでも捨てがたいのだ。

それもさておき。立ち食いそば屋は他の飲食店に比べて価格帯が低めの傾向にあるので「天ぷらそば」の食券でもあまり気負わずに買えてしまう。だから、しばらくはどこに行っても「かき揚げ天そば」を狙って注文していたのだが、このごろは回数も増えたし、だんだん健康方面が気になってくる年齢でもあるので、昨年あたりに熟慮と深考を重ねた末、これからは「わかめそば」に軸足をおこうと決心した。そうして「かき揚げ天そば」の食券を買うのは、一万歩も歩いた日とか、一万円札を拾って警察に届けた日とか、一万倍粒日とか、納得できる充分な理由があるときだけと決めたのである。

それもさておき。先日、立ち食いそば屋でマイブームの「わかめそば」を食べていたら、少し遅れて隣りに立った人が「ちくわ天そば」をお盆に乗せているのが目に入った。ふだんは自分の食事に集中するのだが、このときはどうしたわけか隣の芝生が気になってしまった。ちくわの天ぷら。コンビニの白身フライ弁当とか、なんちゃって天丼みたいな流れで不可抗力的にいただく(もちろん美味しいのだけれども)機会はこれまでに数限りなくあったが、過去に自らの意志ですすんでそれ(ちくわの天ぷらのこと)を選択して食べたという記憶が自分にはない。これには偏見とか思い込みのような残念な心の動きが関係しているようにも思うが、それにしても、かき揚げ天でも春菊天でも紅生姜天でもなく、ましてや月見やキツネやわかめでもなく「ちくわ天のせ」を選ぶ人がいるのならば、その魅力はきちんと知っておきたい。

AIはこういうときにこそ使うべきだと思う。器を下げて店を出たあと、道端でスマホを出して、『立ち食いそば屋でわざわざ「ちくわ天そば」を注文する人がいます。ちくわ天そばの良いところを教えてください』とChatGPT に質問してみたら、“立ち食いそば界の地味な実力者“という異名まで添えながら「ちくわ天そば」の魅力を丁寧に詳しく教えてくれた。私は何も知らなかった。次回は、ちくわ天そばを食べてみようと思う。

※余談だが、先日、所沢駅の「狭山そば」でわかめそばを啜りはじめたら、BGMに吉沢秋絵の『季節はずれの恋』が流れてきた。偶然にしては出来すぎている。

芋づる式ライフスタイル

年末に、ディズニープラスで『スターウォーズ』のエピソード1、2、3、4を続けて観た。

「お正月にはクワイを食べるよね」という年末特有の会話がきっかけで、それからなんとなく『スターウォーズ』エピソード1を観る流れになった。エピソード1を観ながら「あー、この天秤刀の使い手、"ダース・モール"っていう名前だったか」と思って、翌日にはウィリアム・モールの推理小説『ハマースミスのうじ虫』を読み始めていた。読後の勢いでさらにドストエフスキーの『罪と罰』を読み始めそうになったが、この奇跡の長期連休の過ごし方に影響するので、一旦、思いとどまる。『スターウォーズ』もエピソード4までで、なんとか思い止まったように。


2025年を迎えてからは、なるべく明るく平和なコンテンツを探して部屋の中をウロウロしてみているが、いまのところ『いとしのムーコ』くらいしか見つからない。