TRICK -Troisieme partie-』 のビデオを2本、黙々と観る。やはり面白い。会話や間の妙味を楽しむことだけが目的と思えば、”トリックを暴く” という趣旨は恰好である。このドラマは 「嘘も方便」 という価値観を無条件に否定しようとするが、もともと問題を提起するためのドラマではないと思うから、それでいい。余計な事を深く考える必要はない。これは直に生えてるやつですから、と主張する矢部刑事の危機一髪ぶりをニヤニヤ眺めていればいい。

それでも、せっかくうまく騙し騙されて調和している集団の中へ、上田と山田が飛び込んで台無しにしてしまうことに、多少の疑問は感じてしまう。『オーラの泉』 で江原氏があらぬ方角を眺めながら、あのね、とか語り始めたところへ、オンエア中にもかかわらず上田と山田が踏み込んできて、「おまえのやっていることはスピリっとお見通しだ!」 とか(つまらんことを言ってしまった)言ったら、それは有り難迷惑というものである。人間性を重視するあまり生産性があがらない職場に、自信満々のコンサルタントが飛び込んできて、「ぜんぜんだめ!」 とかいうのと同じである。生産性は高いほうが良いに決まっている、という発想が独善的でないとは言い切れないことを、検証してみたことのないタイプである。

TRICK』 の製作者には明らかに、この問いかけへの迷いがある。矢部刑事の頭髪問題への微妙な配慮からもそれがわかる。それでも、つい視聴者が詐欺師側に感情移入してしまいそうになるところを、製作者は必ず強引に引き戻してから終わる。熱くなりかけたところへ冷水を浴びせて、騙されるな、と再び注意を勧告する。雰囲気に流されかけた視聴者は最後でまたはっとさせられる。

騙されることそれ自体は決して間違ったことではない。誰でもイデオロギーから完全に逃れることはできないように、騙されることそれ自体を恐れては生きていけないのである。ただ、騙されていたことに気づいたとき、それをどう受け止めて、どう処理していくかは人生の重要なテーマのひとつと思われるが、まあ、いいか。少なくとも、”トリックを暴く” ことには何の価値もなく、だから 『TRICK』 については、ただぼーっと画面を眺めながら、登場人物たちの発言と行動を純粋に楽しめばよいのだ。これは最高のエンターテインメントなのである。

夕方、貸本屋へ行く。店長が 『のだめカンタービレ』 を探しているというので、自宅にあるものを譲る約束をする。