MINGO君、M川女史、新人のS木女史と4人で暑気払い。錦糸町の『わん』。近頃は飲んでもちっとも酔った気がしないという、完全に酔っ払いみたいな事をMINGO君がいうものだから、ひとつ確かめてやろうということで、近隣の皆さんに集合していただいた。

しかしながら、MINGO君の酩酊度合いを観察する前に自分が酔っ払ってしまったらしい。近頃、リメイク映画が多いことにうんざりしつつ、心の底で休火山として眠っていたのが、にわかに活発な動きを見せはじめたかと思うと、一気にマグマとなって吹き上がってしまう。

ミッションインポシブル、奥様は魔女キングコングナルニア物語、ロードオブザリング時をかける少女白い巨塔アテンションプリーズ日本沈没キャシャーンデビルマン、赤影、ハットリ君、サンダーバード、日本も海外も映画もドラマもごちゃ混ぜになってしまっているが、全部数十年前にあったものである。もうリメイクとかいって過去の作品をいじくりまわすのはやめにしてはどうか。何でも現代風にアレンジするのは遠慮してはどうか。ついでにウルトラマン仮面ライダー戦隊ものももう終わりにしてはどうか。製作といいつつ編集能力ばかりが駆使されているのは、フレームワーク指向の強いIT業界の悪い影響なのではないか。

感情を昂ぶらせながらビールをがぶがぶ飲み、ひととおり語り終わったら落ち着いた。まあ、この問題をどんどん突き詰めていくと、いずれギリシャ神話にまで遡ってしまって、結局オリジナリティなどどこにもないというような、身も蓋もない話になってしまうのだがな。まったくな。仕事の話はあまりしなかったが、世間話が尽きぬまま3時間ほど飲んで解散する。

帰りの電車の中でも、しばらくお酒と一緒にとりとめない断想を頭の中にかけ巡らせる。和風、洋風、中華風エトセトラの、いわゆる 「○○モドキ」 ならたくさん巷にあふれているわけだが、それらは決して本物の責務を負わされることがないように、世間はどこまでいってもまるで広大なテーマパークのようである。中華風レストランで中華風の服装をした人が中華風の食器に注がれた中華風のスープを運んできたのを中華風のスプーンで飲んでみると、どうです中華風でしょう? という声がどこからか聞こえてくるのである。それで充分でしょう? と聞いてくるのだ。どこに行ってもそうなのだ。戦争が終わって60年が過ぎたが、アメリカ文化に対する政府の量的緩和政策のおかげでポップカルチャーがじゃぶじゃぶあふれる毎日が60年間も続いて、気がつけば親・子・孫の3世代が同じテレビ番組を繰り返し見るような世の中になっている。これが現代の極東地域の生態なのである。日本人は戦争に負けて、いま一度の文明開化を強いられた。その結果、我々のなかの過去の日本の記憶でさえ、もはや和 ”風” に過ぎなくなってしまった。それを悔やむ感情が自分の中にも確かにあるのだが、これももはやナショナリズムとさえいえないもののような気がする。ひとつの民族が滅亡する瞬間を未練がましく見届けようとするようなマニアックな感覚なのである。