妻が招待券をもらったというので、練馬美術館へ 『佐伯祐三展』 を観に行く。
人気があることは聞き知っていたが、想像していた以上の人出に少々驚かされた。

裸婦を描けばルノアール、リンゴを前にすればセザンヌと、海外の画家の影響を
受けつつとりとめのなかった画風が、渡仏で一変する。パリの街並み。深みの
ある赤と黒、落ち着きのある白、暗いけれども暖かい画面、美しいパリジェンヌ
の後姿、乱雑で鮮やかな広告の壁。どの絵も持って帰りたくなる。日本人が好む絵は、
やはり日本人にしか描けないのだと思い知らされたような衝撃的な体験である。

ところが、約2年のパリ滞在から一転、帰国して下落合の風景を描き始めると、
これがなかなかつまらない。佐伯自身がやる気を無くしているようでさえある。
『テニス』 と題された作品は、よく観ればテニスをしている風景だが、和風の
建物の周囲は広い空ばかりで、テニスコートの上の人々は野良仕事をしている
ようにしか見えない。土臭い平地に、やかましいほどの電信柱。岸田劉生みたいな
絵まで描いている。下落合の 「落」 の字が、そのまま落胆を意味しているかの
ようだった。

そういうわけで、佐伯はまたフランスへ渡る。そうすると、また彼の絵は輝きを
取り戻す。どうしようもないことなのだ。『工場』 なんて抱きつきたくなるほど堪らない。
絵の並ぶ壁から離れ、展示室の中央に立って数十枚をまとめて俯瞰する。うーむ。
楽しい。ぜんぶ持って帰りたい。いやもう帰りたくない。

ちなみに、佐伯は画面にあまりサインをしない人らしいが、ときどき見かけた
サインにしても、書き方が定まっていないようだった。気がついただけでも、
SAEKI、SAHEKI、saiki、の3種類の綴りを使い分けている。
気になるのは、”さえき” と ”さいき” の使い分けである。同じ人物の
することとは思えないのだが、まあ、真贋をどうのというつもりはない。
ヘンなやつだと思うだけである。

『ロシアの少女』 などは、マチスの影響を感じさせるし、死の直前の黒い線は、
なんとなくルオーの影響も思わせる。もちろんユトリロとも無関係であるとは
とても思えない。たしかに他者に影響を受けやすい画家だったのかも知れないが、
それでも彼の描くパリは、彼にしか描けないパリなのである。

葉書を3枚買って、久しぶりに大満足して帰ってくる。

スプリンターズSは、キーンランドスワンを応援してみたが5着だった。
それにしても短距離路線を外国の馬に勝たせるようでは遺憾な。