夏休みもういいのと、会う人会う人に聞かれるので、とりあえず休暇をもらってみた。『山口晃展 今度は武者絵だ!』 をようやく観る機会を得る。今春には、会田誠との競演をつい見逃してしまって、とても残念な想いをしたこともあり、今回は絶対に何としてでも這ってでも跳ねてでも会期中に練馬美術館に行かねばと胸の内側にぶら下げた黒板に目に見えない千枚通しでしっかり刻み込んでおいたのである。

妻とともに入場料を支払って、最初の1枚をじっくり眺め回していたところで、休みの間だけ職場から持たされている携帯電話が震える。しかたなく美術館の外へ出て応対。相手の言葉には聞こえないフリをし続け、いまトランプでピラミッドを作っているからそっとしておいて、とだけ伝えて電話を切る。再び美術館へ。

馬が。松の木が。逆白波が。メカニックである。観察の繊細さと、着想の豊かさと、そして何よりもその圧倒的な描写力に舌を巻く。日本画家なのかと思っていたのだが、どうやら油彩が主体のようであり、大和絵現代アートという感じか。しかし、大きくて繊細な武者絵を大きな和紙に墨で描いたりもしているわけで、彼こそはまさしく日本美術の本流の正統な後継者たる資格を備えた絵師であると、いまここで言い切ってしまっても私は後悔しないだろう。もう彼についていこうとさえ思う。

そういえば、自分の小学校の頃の同級生にM君という絵の上手な友達がいたのだが、やはりやや大人しい感じで黙っていても知性が見え隠れする山口晃みたいなタイプだったわけだが、そのM君の家に白紙のノートを持って行っては、そこにマンガを描いてもらうという幸せな時期が自分にはしばらくあった。そのときにも、もうM君にどこまでもついていこう、と心に誓ったことをこの山口晃氏の肖像画など見て思い出したりなどしたわけだが、仮にM君の可愛らしい双子の妹が、仮にあの家にいなかったとしても、やはり自分はノートを持ってM君の家に通ったはずである。今となってはM君が途中で転校してしまったことばかりが悔やまれるわけだが、山口晃の絵があればもう淋しくないと、そう思ったりする次第である。

ついつい細部まで眺め渡してしまうため1枚の鑑賞に時間がかかる。美術館の中を2時間以上もうろうろしていたわけだがとても楽しかった。最後にハガキを3枚と、画集を1冊購入。さらに展覧会の図録を求めたのだが、こちらはまだ製作中とかで、珍しいなと思ったりしながら予約申し込みする。それから図書館に寄って、コンピュータ関連の本と、筒井康隆の 『バブリング創世記』 を借りて帰る。『裏小倉』 はここに収録されていたか。