朝5時に起床。9時にチェックアウト。
二社一寺(東照宮二荒山神社輪王寺)を拝観する間だけホテルで荷物を
預かってもらうことにして、気ままな感じで日光山に入山する。

参道の入り口で東照宮の拝観券を買った。1300円也。じつはこれが失敗で、
少し先の輪王寺の受付で共通拝観券を買うと、同じ1300円で輪王寺
宝物殿と本殿の拝観券(700円に相当する)もついてくるのだった。
とにかく発売窓口によって様々なので、よくよく吟味して購入するべきである。

とにかく団体客で賑やかになる前に陽明門のほうを回ってしまいなさいと、
その東照宮の拝観券の券売所の人に説明されたとおりに、表参道を真っ直ぐに、
陽明門のほうへ向かって歩いた。ここでもし途中の輪王寺を参ろうとしていたら、
先の料金体系の理不尽さに憤りを覚えて、今日という日を一日中、不愉快に
過ごさねばならなかったに違いない。そういう意味では、素直に言うことを
聞いておいてよかったと思う。

参道の途中にある売店で使い捨てカメラを買った。デジカメも持ってこない
なんてどうかしていると思ったが、デジカメの存在を忘れてしまうくらい、
スローな生活に憧れている今日この頃である。けれども、とりあえずカメラを
入手するとすぐに東照宮の入り口で水泳教室の小学生みたいにバシャバシャ
写真を撮ってから境内に入場する。

最初に出迎えてくれるのは、例の有名な、みざる、いわざる、着飾る、
誰か故郷を想はざる、というヤツだ。彫刻の前で猿の真似をしたりしながら、
また写真を撮ったりする。そうすると、今度は正面の建物の壁に大きなゾウ
の浮き彫りがあるのに気がついて、またその前に駆けて行って、ゾウの真似を
したりしながらまた写真を撮る。

口を開けて陽明門を見上げる。しばらく見上げている。はっとして写真を撮る。
そしてまた見上げる。またはっとして、日が暮れていないことを確認して、
「漆がだいぶ剥げてきているな」 と軽く批判してみてから門をくぐる。

境内の一角にお神酒を売っているところがあって外国人が集まっていた。
よくみると、お神酒はお持ち帰り用の酒瓶に入っていて、すぐに飲めるわけ
ではなかった。あたりまえか。外国人が集まっているのは、神酒と一緒に
売られているお守りが目当てだったらしい。「アカイ、ヒトツ」 とたどたど
しい日本語だったが、日本語で注文するだけ好感が持てる連中だったな。

拝観順路の看板に促されるままに東回廊に向かう。いよいよ 「眠り猫」 に
会えるわけだが、将軍家の親族以外はここでまた拝観券を見せねばならない。
回廊に上がるために靴を脱ごうとすると、ほらそこ、ほらそこ、と観光客の
ざわめきが聞こえてくる。見上げてみれば、欄間に小さな白猫が眠っている。
これか。これだったか。「小さいね」 「小さいな」 とヒソヒソ声が聞こえ
てくる。眠り猫は眠ったフリをしながら、恐縮してますます小さくなる。

靴を脱いで漆塗りの回廊を奥のほうへ歩いて行ったらトイレしかなかった。
引き返して靴を履きなおし、今度は眠り猫の下をくぐって、奥社までの石道
を歩く。奥社というのは徳川家康のお墓のことで、眠り猫はこの奥社への
入り口の番をしているのだそうである。居眠りなんかしちゃってニャー。

奥社までの石の回廊はとても綺麗で、エッジが立っているという感じ。
もともとこの道は、将軍以外は足を踏み入れることが許されなかったそうで、
40年前くらいから、特別に一般公開キャンペーン実施中だということで、
まだ石段も磨耗していないというわけである。しかも、どの石段も豪勢に
一枚石で継ぎ目がないためか、いかにもデラックスで重厚感のある趣を
杉木立いっぱいに漂わせていた。

徳川家康のお墓の周りを一周して帰ってくると、まだ眠り猫の周りには、
携帯電話をかざして居眠り怠慢な態度を証拠写真に収めようとしている中間
管理職や、「小さいね」 とヒソヒソやっている家族連れなんかが集まっていた。
猫も騒々しくて眠れやしないだろう。

眠り猫の次は東照宮本殿で、ここはまたやや皮肉をこめてデラックスという
横文字による賞賛を惜しまない場所で、建物の周囲には細かな極彩色の彫刻やら、
薄暗い内装の壁には天女だか鳳凰やら、天井には百態の龍の絵やら、板襖には
象みたいな牛みたいな図やら金色の金具やら、畳のヘリの上には宝石の指輪を沢山
嵌めたスパンコールのおばさんやら、とにかくとても異様な雰囲気だった。
ここでも二拝ニ拍手。

それから薬師堂を訪ねて、鈴の音のようなドラゴンの咆哮を聞かせてもらい、
運が開けるような気分になったところで、すっかりお腹が一杯になった。
入れ違いにやってくる団体のガイドを盗み聞きしたりしながら、
東照宮をゆっくり離れる。

そういえば、
だらだらと長いテキストを書き綴っただけのブログなど見たことがないな。

次に訪れた二荒山神社は、よほど神社らしくてほっとする。
お御籤を引いた妻はその託宣に納得がいかず、もう一度引いてくると言っては
ソワソワしているその手を引いて二人で夫婦杉の前で二拝ニ拍手。縄に結ばれた
沢山のお御籤にしがみつく沢山のトンボに見守られているような安心。

日光山を参拝する人で、アセトアルデヒドを分解する遺伝子の機能が正常な人は
たとえ興味が無くても二荒山神社の本殿の拝観券を購入するべきである。
なぜならば神殿の前でお神酒を飲ませてもらえるからだ。最初はそうとは知らず、
ただ神殿に近づけるというだけならお金が勿体無いから拝観券を買うのはやめよう
と言ったのだが、妻がせっかくだからと半ば強引に拝観券を二枚購入、ブツブツ
いいながら彼女の後についていくと、いきなりお酒が用意されていたのである。
神前で酒が飲めるのは結婚式のときか、さもなくば二荒山神社を参拝するとき
くらいなものだろう。じつに清々しい。

とにかく嬉しくなってしまって、セルフサービスを良いことに杯になみなみと
注いで一気に飲み干す。そんなに強くない栃木の地酒だった。注意書きに一杯
までとは書いていないので、お代わりを頂戴しようとしたら妻に咎められた。
せっかくなのだからと抗議してみたが、旅行に差し支えては困るというので、
しぶしぶ杯を返すことにした。

二荒山神社の脇には霊泉があって、同じ拝観券でその周辺の社にも参拝できる。
大黒様や祭られていたり、化け灯篭だの、運試しの輪投げだの、茶店まであって、
なかなか楽しめる一角だ。輪投げは無料で子供さえ見向きもしないような簡素な
ものだった。1回3本として3本投げたうち1本でも棒を捉えれば運が開ける
という。ただそれだけ。景品なんか勿論無い。子供たちが興味を示さないのは、
輪投げという行為そのものを楽しむということを知らないからなのかも知れない。
オレさまは1回目は0点だったが、意地になって2回目に挑戦すると1本的中。
さらにこの強運を確実なものとするためにもう1回投げてまた1本的中させた。
本日の幸運確率は33%です。

霊泉のそばにある茶屋でコーヒー(350円)を飲む。トンボが妻の頭に乗って、
一緒に店に入ってきてしまい、また飛び立ったところで、窓ガラスに複眼を擦り
つけてジタバタし始めた。可哀想なので羽根を捕まえて外に投げてやる。自由な
空の下で死なせてやりたかった。これで、ガラスに複眼を擦りつけてジタバタする
トンボを逃がしてやったのは、今年に入って2匹目である。もしも地獄の世界に
トンボ地獄というものがあれば、この善行が認められて何かと配慮してもらえる
かも知れない。

二社一寺ということで、さて最後に輪王寺を拝観しようか、と向かってみたら、
庭園を散歩したり宝物殿を覗き込んだりするにはまた拝観券を買わねばならない
ということが判明したので、やや気持ちが萎えてきてお寺の周囲をウロウロする
だけにとどめることにした。本当は、解説(かいせつ)が解脱(げだつ)に読めて
しまうほど仏教びいきなオレさまなのだが、少し疲れてきたし、既に正午を回って
いたこともあって、そろそろ帰りの電車が気になりだしてもいた。そういうわけで、
とりあえず寺務所で高級そうな 『輪王寺』 という線香(1000円)だけ買う。
ちょっと嬉しい。近頃は線香が燃えていくのをじいーっと眺めていたい気分なの
である。

日光山を離れて国道119号線を東武日光駅までのんびり歩いた。途中の専門店
湯葉せんべいを買って、食べながら歩く。20分ほど歩いたらもう駅に着いた。
駅前でお土産と、弁当と、日光ビールを買って、13:59発の快速電車に乗って
東京へ帰ってくる。