朝7時起床。
ゴミを出し、ビデオ屋に 『血と骨』 を返しに行く。

映画 『血と骨』 は、なんとなく抑揚のない作品に感じられた。
金俊平のような父親は、ある時期の日本にはたくさんいたのではないかと思う。
しかも、この男に特化すれば、善性においても、悪性においても、人間的特長がない。
強いて言えば 「暴力」 とだけ表現するしかない、つまらない男だ。
このあたり、原作を読んでみないと安易には評価できないが、愛も憎しみも欲望も
何もかもが中途半端で、かといって俗にいう 「ハンパ者」 とももちろん違う。

映画では坦々とした日常が描かれていて、暴力が蔓延してはいるが生活感がある。
その点、観察する側としては、暴力よりもむしろ突然の病に対する恐怖のほうが勝った。
いろいろな意味で、中途半端で少々勿体無い作品ではなかったと思う。
ひとつだけ、あの怪しげな保存肉を食べるシーンには戦慄を覚えた。あれが全て。

外出したかったのだが、妻がいつまで経っても起きてこないので、
仕方なく家の用事を済ませることにする。
とりあえず、ペンキと刷毛とシンナーと軍手を買ってきて、濡れ縁の塗り替えをする。
これがけっこう楽しくて、トムソーヤになった気分。2時間くらいかけて終了。
このまま放置しておけば、約3時間で乾く予定だ。

次に洗い物を片付ける。大事なもらい物の皿を一枚割ってしまった。
妻の友人の手作りの皿である。僕が割りましたと自分から白状するか、しらばっくれるか、
よくよく考えてみれば、妻を除けば割る人はオレさま以外にいないので、
妻が起きてきたらすぐに自分から告白することに決める。ワシントンになった気分。

午後になっても妻は起きてこない。
退屈なので、横になって少しの間読書をする。違う視点からチラと濡れ縁を眺めてみると、
どうも塗り残しが気になってきたので、また少し塗りなおす。
そのうちに妻が起きてきた。寝ぼけながら、オレさまの職人技を観察している。

皿を割った話をすると、ボンドで繋いでおいてくれれば良いというものだから、
ペンキのついた刷毛を放り投げて、慌てて台所へ走って割れた皿の破片を回収する。
小さな砂粒を指差しながら、これもだと思う、と妻がいうのだが、そんなのボンドで貼れない。
それは勘弁してくだせえと赦しを乞う。自分ならやれる、と妻は踏ん反りかっている。
自分ならやれない、と言い返して、濡れ縁の塗りなおし作業に戻る。

濡れ縁の塗り直しが終わったころには、すでに午後3時を回っていた。
妻が散歩に出かけたがったので、身支度をして2時間くらい散歩する。日が暮れた頃には本屋に寄り、
またそこで1時間くらいが過ぎる。そうして行き慣れた居酒屋に入ったのは午後7時頃だった。
ちょいと一杯のつもりで飲んで、ビール、焼酎、サワーと盃を重ね、気がつけば午後10時。
少し飲みすぎたか。連休を二日酔いでは過ごしたくなかったので、後悔しきり。