小林秀雄は老齢に近づくに従って、体力の衰えにあわせて鎌倉の高台から徐々に坂の下のほうへ転居を重ねつつ、その都度に膨大な書物を整理していったそうだが、その結果、最後には古典だけが残ったという。要するに古典だけがあれば他の書物は一切無用ということなのかも知れないが、けれども、だからといって最初から古典だけを読もうとすれば良いというほど事は簡単ではない。いきなり古典に飛びかかっても、そうそうにその真の魔力を享受できるものではないからだ。

このところしばらくの間、ルネッサンスに関する書籍を読んだり、クワトロチェントな画集を開いたりしていたら、いよいよ古代ギリシャ人の著作なんかを読んでみたくなった。そういう衝動が起こるのをずっと待っていたのである。そういうわけで、この数日はとりあえず、プラトンの『饗宴』を熱心に読んでいた。

それなりに新鮮な体験だったので、オレさまなりに俗な解説を試みてみたいと思う。とりあえず、この作品を読む人は、少なくとも以下のいずれかの恩恵にあずかることができるだろう。

  • ソクラテスという人物のイメージをつかむことができる
  • 男性の同性愛者の人々に知恵と勇気と希望を与えてくれる
  • そうでない人々にも知恵と勇気と希望を与えてくれる

まず、饗宴に出席したうちの誰かの提案によって、出席者それぞれによるエロスを讃える演説大会が始まる。もちろんこの場合のエロスとは、インターネット検索でじゃんじゃんヒットする例のエロスのことではない、といって完全にまたそれと異なるものとも一概には言えないもので、それはつまり、人間の欲求が簡単に「聖」とか「俗」とかに切り分けることのできるものではないからではないかと思うが、まあ、いいか。

この交互に続けられるエロス賛美というのがなかなか退屈で、そのうちの一人などは「人間はもともと手が4本足が4本あってだな」などと突拍子もないことを言い出したりする始末。もしも爆笑問題の田中あたりがそばに居合わせたら「うそつくなよ」と間髪いれずに教科書どおりのツッコミを発動させるに違いなく、しかもテレビの前のお茶の間の皆さんとしては、まあ、それもマナーと思って苦笑いしてみたりするところであろうか。

それで、こうした5人分の演説を聞かされた挙句に、例のソクラテスが喋りだすわけだが、喋りだして5秒も経たぬうちに、読者は彼の異様さに気がつくだろう。もしもソクラテスが、英仏のコンコルド機開発プロジェクトの進捗会議の場に居合わせたりしたならば、せいぜい採算上の不都合だの数ヶ年のスケジュール遅延で済んでいたはずのものが、たちまち機体設計からやり直しを騒ぎ立てられるような最悪に面倒な事態に陥っていたに違いない。そうして、しかもプロジェクトのメンバーはこう思うのである。やはりソクラテスは正しいよね、と。

ものごとへの曖昧な認識を自他に戒め続けたソクラテスは、ディオティマの言葉を借りつつ、エロスの全貌を浮き彫りにしようと試み、そしてそれはほとんど成功したのだろうと思う。オレさまなどは、「ようやく愛の道の極致に近づくとき、突如として一種驚嘆すべき性質の美を観得するでしょう」という下りなんかにぞくぞくするわけであるが、エロスが人間をして完全なる境地にまで到達せしめる力を持っているとの結論に至るまでの道筋は、ある種のキツネに化かされた様な気分を伴わぬわけにはいかないような気もしたりする。まあ、いいか。とにかく、そういうようなことを、『饗宴』とかいいながら、大の大人が酒も飲まずに、しばらく語り合うわけである。

こうして、さあもう飽きてきたかなと座が落ち着きはじめたところへ、いきなり酔ったアルキビヤデスがジャジャジャーンと登場する。この招かれざる酔っ払いの登場というのは、かつて ”全員集合”のドリフも愛用したコメディの常套手段である。アルキビヤデスという人は、『プルタルコス英雄伝』にも出てくるような有名人で、血統が良い上に大そうな美少年だったらしく、彼のために何人もの裕福なギリシャ人が人生を棒に振ったのだそうだが、当の彼はソクラテスにぞっこんだった。しかも酔って現れた彼は、座の空気を読もうともせず、近頃のソクラテスは自分に冷たいのだとか愚痴をこぼしつつ、ソクラテスがどれほど鈍感な男であるかを昔話を引きながら説明し始めるのである。たとえばこんな風……

「こうして僕は、諸君、この人とたった二人きりになった。そこで僕は、この人がすぐに、愛者がその愛人と差し向かいのときに語るように、僕と語りだすだろうと思った、そうして喜んだのだった。ところがそんなことはまるきり起こらなかった。…(中略)…その後僕は一緒に力技をしようといって誘ってみた、それから二人で力技をやった、今度こそ何か効果がありそうなものと思って」

とにかく満員電車で読むような本ではないことは確かだが、アルキビヤデスは他にもさまざまな例をとって、いかにソクラテスがクールでタフな男であるかを延々と説明するのである。本書がソクラテスを知るための格好の入門書だと言われる所以はまさしく彼の告白のうちにある。読んだ者は間違いなくソクラテスを好きになる。