法要のために四国へ向かう母を羽田空港まで送る。寝不足だとかで珍しく電車の中でも無口だった母は、浜松町からモノレールに乗るとふいに青森の話をした。青森のねぶた祭りはいつ頃だったか、そろそろなのではないか。それなのにこのモノレールが空いているのは、青森にも新幹線で行けるようになったからに違いない云々。これから飛行機で南国へ行こうという人が、新幹線で青森に行く話をしている。どうやらテレビで新幹線だか青森だかの特集でも観たらしい。あるいは、何かうしろめたさのようなものがあるのか。最後に「行ってみたいわねえ」とだけ付け加えて母はまたしばらく大人しくなった。
きっと青森へ行けば、またどこか別の場所へ、たとえばアラスカあたりへ「行ってみたいわねえ」と言うだろう。何歳になっても、どんな人の胸にも、いつまでも何処までも「行ってみたい」はついてまわるのだろう。憧れは美徳の一種ではないかと思う。