会議は踊る

残業後に少しワインを飲んで帰る。近頃は飲むと深酒をしてしまう癖がついた。今日も終電近くなって深夜帰宅。

中学時代の社会科の授業で、あるとき「人が歴史をつくるのですか、それとも歴史が人をつくるのですか」と教師に質問されたことがあった。自分は大変に聡明な少年だったので、この問いかけの深さを瞬時に悟り、いくつかの事例を挙げて考証してみたもののやはり回答に窮し、「その両方のようです」と答えたことを覚えている。それ以来、その問いかけは絶えず我が胸のうちのどこかを去来し続けた。

その先生の授業は独特で、まともに教科書が開かれたことはなく、戦時中の体験を聞かせてもらったり、歴史上の人物評などを聞かされたりした。「帝国主義とは何ですか?」などという答えにくい質問を突きつけられたこともあった。そうした問いの数々について、今の自分ならどう答えるかということばかり考えてきたような気がする。定められた課程に副うことが全くないのだから”脱線”とさえも言えないわけだが、その時間をこうして今も忘れられずにいる。授業が進んでいない(?)とPTAから苦情があったらしく、その先生は急に転任されてしまったのだが、あのときほど学校教育に失望したことはない。

ところで、「人が歴史をつくるのか、歴史が人をつくるのか」この問いの難しさは、自分のなかの”歴史”の定義の曖昧さにあったのではないかと思う。あれから長い年月を経て少し経験値も増えたところで、近頃は何となく、これに「歴史とは人である」という定義を加えるのが良いような気がしている。そうして最初の問いかけに代入して「人が人をつくる」と変換してみると、何となくこれが納得できるのだ。ただし、”重なりあったりしてつくる” というだけの意味では勿論ない。

電車に乗るときにはドア際に立つことが多い。あるときドアの表面に締められたネジが気になって、その一つを繁々と眺めているうちに、このネジを締めたのは「誰か」であるという考えが浮かんできた。その位置を決めたのもまた他の「誰か」だ。そうなると、吊革も手すりも、暗い線路も、街の灯りも、ヨコハマも、世の中にあるものはすべてそうした誰かの手によって作り上げられたものばかりだった。

人が作り上げた社会のなかで人は生まれ育ち、世代や空間を超えてまで互いに影響し合う。歴史や社会や科学などというものは実在しなくて、ただ、あらゆる人々の年譜があるだけなのではないか。つまるところ歴史の年表を埋め尽くすべきは人の名前なのである。うーむ。なんだか昨年読んだ『戦争と平和』の影響をモロに受けてしまっているのかも知れないが、むしろ『戦争と平和』を読む気になった当時の自分の動機のほうを重くみたい。

そういえば、トルストイは『戦争と平和』のなかで、ナポレオンが入ったときのモスクワを、女王バチのいなくなった蜂の巣箱に例えていたが、ミツバチの社会にも連綿とした歴史はあるのに違いない。個々のハチが積み重ねてきたハチの歴史が、人間の歴史とは違ったもののように見えるのはなぜだろうか。そういえば、最近は大量のハチの群れが女王バチだけを置き去りにして巣を去る現象がみられるらしいが、あれはどういうことなのか。まあ、いいか。