手近なところから何でも始めるのが良いのではないかと思いつく。やりたいことがあり過ぎることで、何もできなくなってしまう事態はどうにかして避けなければならない。1度でも経験できれば気が済むこともあるはずなので、そうして一つずつ減らしていくことで、少しずつ欲望の指向性を強めていこうという算段である。
そう考えてみると、かねてから、やってみたいと思いながら、しかもいつでも実現できたことでありながらも出来ずにいることが意外に沢山ありそうな気がする。ひとまず自分が常日頃からやってみたいと思っていることは何か。自分に問うてみよ。ラーメン屋でつけ麺を飽きるまで食べてみたい、焼肉屋で焼肉を飽きるまで食べてみたい、寿司屋でアジの握りを飽きるまで食べてみたい、ポポラマーマでスパゲティを……ええい、食べることばかりではないか!
それだけ貪欲であることには違いないが、同じくらい抑圧されているということでもある。いや、近頃は貪欲のほうがやや勝りつつあるが。健康への配慮もあるけれども、暖衣飽食への罪悪感は、ずっと以前からもっと根源的なところで自分を支配してきたような気もする。これは果たして自らの判断で選択されたものなのか、それともどこかで取り憑かれた強迫観念に過ぎないのか。そういうことが思い出せない。
それにしても確かにこの葛藤はストレスそのものに違いない。ストレス解消のために、好きなだけつけ麺を食べるべきなのか、それとも満たされぬまま耐えるべきなのか、”Ta-be, or not ta-be, that is the question.”……と、そもそもこの問題は本当に二者択一の問題なのだろうか。あるいは欲望と抑制と、この二つの大きさそのものの問題だったり、この二つの量的差異の問題だったりするのかも知れない。まあ、いいか。