9時半起床。今日も天気が良いのでまず布団を干す。ほどよく温まったところで取り込む。昼からは散歩。駅一つ分ほど歩いたところで、スパゲティ屋にはいる。カルボナーラをパクパク食べる。麺をすすらないで食べるという行為は、スケートリンクをカツカツ歩くような感覚に似ている。食事を済ませ、お代わり自由の紅茶などがぶがぶ飲みながら、持っていた科学雑誌を拾い読みする。

『人間の”心”の発生と進化について』 というフォーラムの記事に、愕然とさせられる一文を発見する。湖の真ん中に船を浮かべそこに蜜を置き、それを1匹のミツバチに発見させるとして、そのミツバチが巣に帰って、得意のベリーダンスで仲間にその蜜の位置を伝えても、他のミツバチは飛んでいこうとしないらしい。なぜならば湖の真ん中に蜜などあるはずがないからなのだそうである。遠いからとか、危険だからとかいうのではなくて、嘘っぽいから、なのだと言う。本当か。ミツバチも考えているということか。小さな頭の中に青い湖が広がったり、青い静観とか青い猜疑心が広がったりするというのか。うーむ。恐ろしい。

しかし、それにしても仲間に信じてもらえなかったミツバチのその後の生活が気になる。彼自身、まず社会不信に陥ってしまうのではないか。「その程度の絆だったのか」と愕然とするのではないか。そうして自暴自棄になってお酒を飲んだり、そのせいでさらに大きな嘘をつくようになったりしないだろうか。だいたい、仲間が大勢いるのに誰も信じないところが赦せない。みんな冷たいよ。どうしちゃったんだ。個にして全なるものがミツバチではなかったのか。ああああ。それよりも、まさか研究者は湖に置いた蜜を実験後に撤去したりやしないだろうな。そんなことをしたら、万が一ミツバチの仲間のなかに ”僕は彼を信じる” とかいうような若くて志の高いハチが1匹くらい現われて、例の実験に協力させられたミツバチの正しさを証明しようと、命を賭してその湖まで行ってみたりするようなことがあったときに、さて実際に行ってみたところ、やはりどこにも蜜などミツからなくて、そんな駄洒落も言っている場合じゃなくなっきて、飛び回り、叫びまわり、やがて力尽き、諦めと入れ替わるようにして突然胸を突き上げてくる、かの嘘つきのミツバチへの憎悪と、そして ”ミツバチ” という種の存在そのものへの大いなる失望に薄い羽根を幾重にもよがらせつつ、どこまでも青く凪いだ湖の水面に若く美しい身体を空しく浮かべることになるではないか。そうしてまた、不本意ながらこの若者の信頼を裏切ることになってしまった、かの実験台のミツバチのほうはこの悲劇を目のあたりにしていよいよ自己嫌悪に陥り、ついには天と地と湖とあえていうなら ”神” と、そして愚昧な蜜蜂社会を呪いながら、もはや水を撥ねることのなくなった若者の疲れきった亡骸を抱いて、古巣ではないどこかへあてもなく飛び立っていくのである。悲しみを怒りにかえて。

そんなことを考えながら、妻の手を引いて日の暮れないうちに帰ってくる。だいぶ寒くなってきた。