6時に起床。早々に身支度して鎌倉へ向かう。湘南新宿ライナーのなかで、黙々と百人一首の手本を読む。”難波潟みぢかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや” という歌はなかなか良いが、短い足のくるぶしだの、阿波踊りだの、筑紫哲也だのが頭に浮かんできてしまうのが悩ましい。”名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな” という歌も好きな歌である。掛詞がたくさん含まれていて、血統表でいうと4×4×3とか4×5とかが沢山出て来るエルコンドルパサーかオオアタリくらいの複雑さでもう心配にさえなってくるところが良い。いやむしろPOGの後遺症がこんなところに顕れている自分のほうが心配か。

大船駅で乗り換えるべきところを、藤沢駅まで乗り過ごす。もうだめだ、と妻が半べそかいているのを宥めながら、上り電車に乗り換えて大船まで引き返し、さらに9時14分発の逗子行きに乗り換える。鎌倉についても、もうだいぶ混んでしまっているはずだから鶴岡八幡宮には参拝できない、と去年のことを思い出して妻は海岸のほうへ歩こうとする。しかし今年は去年よりも2時間も早く着いたのである。まだわからないからと説得しつつ参道を牛の歩みで進んでみれば、鶴岡八幡宮はむしろいつもよりも空いているくらいである。嬉々として石段を登り参拝。

それから本日の主目的である八雲神社に御参りに行く。昨年も訪れた鎌倉最古の厄除神社である。正月三日までは昇殿が許されていることも特筆すべきことであるが、それ以上に証言しておきたいのが、ここの巫女様のとびきりの美しさである。巫女といっても年上なのだが、神社に観音様が居て良いのですか、と思わず抗議したくなるほどの美女なのである。とにかくそこで、昨年同様に御祓いをしてもらい、昨年同様に御神酒を頂き、御神籤を引けば去年と同じ『吉』。去年と同じ安寧に満たされながら八雲神社を後にする。

鎌倉に来るとたいがい同じパタンになる。とりあえず滑川交番付近のすかいらーくで昼食。硝子張りのフロアは陽射しが強くて暖かい。ココアを飲みながらまたいくつかの歌を暗記する。それから浜辺に出て、しばらく太平洋を観察。海はめずらしく凪いでいるが、鳶はいつものように翼に風を孕んで浜辺を見下ろしていた。沖の薄い雲間に明るい光が射していて、そこだけが、まるでアラビアの宮殿のように煌びやかに浮かんで見える。

若宮大路を後戻りして、もういちど鶴岡八幡宮の前まで戻る。すでに大変な混雑状態で大勢の参拝者が鳥居下から長蛇というか青龍の列をなしておる。うーむ恐るべし。早めに参拝しておいたのが正解だったことを確認しつつ小町通りにはいって、駅方面へ歩いていく。普段は入らないのだが 『渋柿庵』 という店に入ってみたら、なかなか良いハンカチが見つかったので2枚購入。さらに陶器を見たりしながら、古書 『芸林荘』に入る。何も買わぬぞと決めていたのに絵葉書の箱が目に付いて、ついめくり始めてしまえば、掘り出し物(と思われる)絵葉書を2枚発見。ドラクロアの 『ミソロンギの廃墟に立つ瀕死のギリシャ』 とカルパッチョの 『L'ambassade d'Hippolyte, reine des Amazones, a Thesee(テセウスへのアマゾネス使節団?)』 である。とにかくカルパッチョの画のほうは初めて見る作品である。馬上のアマゾネスがやけに弱弱しいところが良い。小躍りしながら購入。

いつものようにミカドコーヒーで一服してから、再び電車に乗って帰宅。途中、池袋のLIBROへ寄って立ち読みなどしたが、何も買わずに帰ってくる。なにしろ、百人一首の暗記で忙しいのである。