6時半に起床。一番に出社するつもりで家を出て、9時過ぎに職場に着いてみれば、すでに多数の社員がパソコンに向かって二礼二拍手一礼たり、祝詞を捧げたり、四股を踏んだりしている。うーむ。気を取り直してパソコンの電源を入れ、ぬさもとりあへず手向け山。O田女史は歳女ということで景気づけに甘酒など配っている。他にも、コーヒーを配る人がいたり、お菓子を配る人がいたり、メールを配る人がいたり。我々のチームの作業は昼頃にはひととおり終了したので、午前中で退社する。

せっかくなので、チームのメンバーで軽く新年会。両国駅前の居酒屋。景気良く刺身の7点盛りなど注文して、ビールで乾杯したら、店主が在庫表をぶら下げながら品切れで魚の種類を少し入れ替えさせてくれと言ってきたので、海ガメでもクマノミでも何でも構わぬと快諾すると、また入れ替わりに若い店員がやってきて、5点盛りに替えさせてくれという。注文の多い居酒屋であるなと笑いながらこれも甘受する。それから少しの間は無言で待ち構えていたのだが、とうとう3点盛りにさせてくれとは言われなかった。安心してもう一度乾杯。

一時間くらいでお店を出て解散。帰宅途中で、ずいぶん迷った(少なくとも5分は迷った)つもりなのだが、『妹ガンダム』を買ってしまった。反省。一旦自宅に戻り、夕方からは妻の実家で新年会なのでまた着替えて家を出たりして忙しい。

御年始とお年玉と一升瓶と妻を抱えて夕方5時頃に妻の実家に到着。すでに、義父だの叔父だの寝転んでいるのを叩き起こし、他の人々は近所の神社に初詣に行っているのを呼び戻し、まだ十の位を知らない子供たちには好きな数字を書きなさいと小切手でお年玉を配り、あらためて酒盛りが始まる。しばらくビールだの日本酒だの飲んでいたら、そのうち叔父の一人がカラオケに行こうと言い出したので民族大移動。

どうも親族の前で渡辺真知子を歌うのは気恥ずかしいので、とりあえず杉良太郎を歌う。本当は銘々が好きな歌を好き勝手に歌って、お互いに刺激しあうのが正しいあり方なのに違いないのだが、お互いが知らない歌を延々2時間も聴かせ合うのはそれはそれで寂しい気もする。とはいえ、いくつかの世代が一緒にカラオケに行くことは、ある種の情報交換の役割を果たすこともあるかも知れぬ。ああこの世代の人はこういう歌を歌うのか、この世代はこういう価値観のなかに暮らしてきたのか、そういうことを知る良い機会かも知れない。そういう意味では、中森明菜をこそ歌うべきだったか。いやいや。

世代を超えて分かり合うことはなかなかに難しい。それは同じ歌を歌う機会が少ないからではないかと思う。青春を過ごした時代も、笑うところも、戦い方も違う。士農工商の昔もそうだったのだろうか。いつの時代も、若者は体制を批判し、老人は半ば諦念のうちに余生を過ごしたのだろうか。演歌はいつまで歌われるのだろうか、と心配しながら、同じようにサザンオールスターズはいつまでも歌い続けられるだろうか、という疑問も湧いてきた。いやそもそも自分が還暦を迎えたときに、若者たちと歌を歌う日がくるだろうか。そのときには何を歌うだろうか。