仕事は定時で切り上げて、日野原重明氏と高階秀爾氏の講演を聴きに丸の内へ行く。

19時開演。最初になぜかハープの演奏。ドビュッシーのベルガマスク組曲にある『月の光』。一曲が終わって、95歳の日野原氏が壇上に登場。いまの曲の思い出などから少しずつ語り始める。立ったまま1時間、座って見ているこちらがハラハラする大講演。この人は、ルーブル美術館で 『モナ・リザ』 を観て、瞬時にこの女性はコレステロールが高いと診断してみせたらしいが、生活習慣病という病名を厚生省に認知させるために20年かかったという苦い経験を語りつつ、いまは看護師に関する法律を変えたいと考えているため、あと20年は死ねないのだと決意表明されていた。うーむ。この人ならやる。長生きの秘訣はローカロリーな食事と、うつ伏せに眠る事であるなど、また 「健」という字は人+建で成り立ち、人がしっかりと立つ姿を意味している、高齢者は両足を開いて立つ傾向にあるが、それが自然に安定する姿勢だからである、など、いろいろ貴重なお話を聞かせていただいたのであるが、なかでも自分の胸に響いたのは、

”完全無欠でなくとも個体が環境に適応できているならば即ち健康なのである”

という考え方だった。「健康」 という強迫観念から解き放たれたような爽快感を得た。さすがである。

日野原氏と入れ替わりで、わが高階秀爾氏が登場。日野原氏の ”人がしっかりと立つ姿が「健」である” という解説を受けて、ミロのビーナス像など彫刻のスライドを紹介。40年ほど前、高橋氏がまだ若い頃に、わが国でミロのビーナス像が展示されたことがあり、その手伝いをしたときに一般の人から苦情を受けたときのことを思い出しながら語る。その苦情の主は 「ミロのビーナスは傑作ではない」 というのだそうだ。理由を聞くと、その人はビーナス像の隣で同じ立ち姿を真似てみたがとても長く立っていられなかったからだという。高橋氏はこの言葉を受けて、まさにそれがこの彫刻の傑作である由縁なのですと答えたのだそうである。

古代エジプト文明には写実的な彫像や絵画が沢山残されているが、たいがいは足を左右に開いたり、前後に開いたりして安定させている。初期のギリシア彫刻でも同じような姿勢だったのだが、前5世紀頃から、片足を軽く曲げて重心を片方に傾ける、動きを孕んだ姿勢の生き生きとした彫像が造られるようになったらしい。それは一つの美的革命だったのだと思う。以来西洋では、彫刻だけでなく絵画でもミロのビーナスと似たような腰つきが良く現われるようになった。高階氏はそのことを説明しながら、ギリシャ・ローマの彫刻や、ダヴィンチのレダと白鳥の図など、いくつかのスライドを見せてくれた。なかでもキュレーネのビーナスにはぐぐぐっときたな。ちなみに高橋氏は、ダヴィンチと呼ばずにレオナルドと呼んでいた。カッコイイから積極的に真似しようと思う。

最後に、日野原重明氏と高階秀爾氏の対談。日野原氏の昔話など楽しく聞きながら21時頃に終了。