COTの忘年会に招かれる。M野さん、Y山さん、オケラオー、Y成君、Y成夫人、オレさま、大作君。神楽坂の 『もー吉』。知る人ぞ知るPOGのメッカである。

微かな映像的記憶を脳裏に復元しつつ、神楽坂という急勾配を登りきったところで、店の所在がわからないことに初めて気づく。こういうことには慣れている。これまでに神楽坂の店を訪ねて迷わなかったことはない。少し坂を下ってみる。見つからない。また登ってみる。気配すらつかめない。なぜ、店の電話番号なり、地図なりを控えてこなかったかと少しだけ後悔する。携帯電話があれば、インターネットで簡単に調べられるのにという悪魔の囁きが聞こえてくる。うーむ。どこを見回しても記憶の中の看板が目に入ってこない。何かの食品店の窓口に女性が立っているので、このあたりに 『もー吉』 というお店があるのをご存知ありませんか、と尋ねてみる。しかし大陸系の人だったようで、何ガナンダカ? という表情で首を振られてしまう。ううう。仕方なく、坂上の神社(じつはお寺である)の前の電話ボックスから、Y山さんのケータイに電話する。1回目は留守番電話サービス。すぐに叩き切る。近頃の携帯電話は公衆電話からの着信を忌避する傾向にあると、大英博物館ロゼッタストーンで読んだことがある。うーむ。妻の声が聞きたくなったので自宅に電話してみる。これも留守番電話。一瞬でも気弱になった自分を恥じて、メッセージを入れずに叩き切る。うーむ。もう一度、Y山さんのケータイに電話する。電話番号の長さにまで障壁を感じる。今度はなぜか繋がった。しかし通信状態が良くない。雑音のなかで途切れ途切れにY山さんの声が聞こえる。もしもしもしもしもしもしいまお寺のあたりです、と一方的に自分の状況を伝えると、もっと坂の下のほうだという声が微かに聞こえてくる。また雑音。通りに出て待っているから……。また雑音。……降りて来い、と聞こえたような気がしたので、電話を切って坂の下まで降りていく。しかし坂を下りてみても、Y山さんの姿は見えない。アルプスの少女ハイジにでてくるアルムおんじの気分である。だいぶ降りたのに誰も出ておらんではないか。行き過ぎたかと思って、また坂を上る。ハイジに会いたい、と心の中に涙を溜めながら気がつくとまたお寺の前まで来てしまう。もう一度電話をしてみることに決める。移動しながら会話ができないことの不自由さを感じる。いや、これが人類の本来の姿なのだ。先ほどの会話でテレホンカードの残数が尽きてしまっていたので、近くのコンビニに入ってレジでテレホンカードを求める。

「ハ? Telephoneカード?、アー、Telephoneカード? アー、店長!」
走り去る店員。戻ってくる店員。まだ迷いが吹っ切れていない店員。すべて同じ異国人の店員である。
「オマタセシマシタ、アノー、NTTガ発行シタモノデ良イデスカ?」

NTTでもどこでも構わぬ。500円のカードがあるようなのでそれを購入しながら、まったく大陸人はテレホンカードも知らんのか、と呆れ果てながら、背中をまるめて店の前の公衆電話からまたY山さんに電話する。世界中の公衆電話はNEOとオレさまのものである。やっと坂の入り口付近に店があることが判明し、転がり落ちるように坂を下る。丁度オケラオーも来たばかりだったようで、Y山さんと二人で道端で待っていてくれた。店に入った頃には、もう集合時刻から40分は過ぎていたに違いない。腕時計を持っていないため正確な遅刻時間は分からない。

ビールで乾杯しつつ、早速COTの中間成績など見せてもらう。どうかねこの中でどの馬が一番強そう?、と意見を求められたので、どの馬もフサイチホウオーより弱そうだなあ、と前置きしてニヤニヤしながら考えていると、もういいから、と話題を変えられてしまった。

久しぶりに会ったY成夫人は、以前と少しも身長が変わっていなかった。彼女が我が義弟の大作君に会うのは初めてだが、やはり貴方の奥様と面影が似ていると、オレさまに同意を求めてくる。不思議なものだ、実は我が妻と大作君とは姉弟といっても血の繋がりはなくて、我ら三人は桃園の下で杯を交わした義兄姉弟なのだよ、と言ってみる。するとY成夫人は大作君に、あなたのお義兄さんの発言はいつも8割引で聞いておかないとね、と同意を求めたりしている。大作君のほうは、やや困惑しつつ、今度の有馬記念はヨコテンを狙いますよよとか訳の判らないことを言って巧みに問題を摩り替えようとする。

昔からハズレ馬券を買ったことがないのではないかと思わせるほど数々の武勇伝をもつY成夫人の亭主殿は、そう聞いて黙ってはいない。彼はダイワメジャーを狙っているらしい。もちろん勝つのはディープインパクトと踏んでいるようだが、基本的にワイド党の彼にとっては、勝つ馬よりもむしろ確実に複勝圏に入ってくる3頭を見極めることが重要なわけで、それだけ広い視点でレースを分析しているとも言える。しかしながら、自分としてはダイワメジャーは受け入れがたい。マイラー色の強い馬が有馬記念を勝つ姿がイメージとして湧いてこないのだ。オケラオーも同意見。

オレさまは、ここだと思って、ディープインパクト有馬記念で3着に負けるだろうと予言してみせた。どうせみんなオレさまの発言など8割引で聞いているのだからな。なるべく定価は高く釣り上げておかないとな(意味不明)。史上最強の3冠馬が引退レースのグランプリで3着に負けるなどと言ってみるその根拠は、つまりあのタイキシャトルでさえ引退レースは3着だったからである。オレさまの心のなかの最強馬はいまでもタイキシャトルであるという主観もかなり混じっているわけだが、どうせみんな8割引で聞いているのだからな。2割の意外性だけで充分。しかし、例えば順調に引退レースを迎えた他の名馬たちの、その引退レースの成績をランダムにピックアップしてみれば、スペシャルウィーク(2着)、テイエムオペラオー(5着)、ジャングルポケット(7着)、イデム(8着)、という具合に、そうそう簡単には花道は飾れるものではないのも確かである。いや、そもそもどんなレースでも負ける馬の数のほうが勝つ馬の数よりも必ず多いのだから、負けると予想するのは簡単なことなのである。うーむ。だんだん空しくなってきた。

そこで、ではどの馬がディープインパクトを負かすのか、ということになる。「そんなもの、何かいるだろ?」 と軽く吠えてみたら、隣に座っていたM野さんがケータイを開いて、インターネットにアクセスし、有馬記念の出走登録馬名の一覧を見せてくれた。これだから携帯電話は嫌いである。小さな画面に映し出された馬名の一覧を横目で流し見てつつ呆然とする。勝てそうな馬がいない。オレさまが言葉を失っていると、オケラオーが 「ただいまのレース、1着……”該当馬ナシ”、2着……”該当馬ナシ”、3着ディープインパクト……ていうことでいいか?」 と、ディープインパクトなみの鋭い追い込みをかけてきたので、いやまあディープインパクトは2着くらいはあるかも知れないね、と着順を1つだけ繰り上げておく。

宴席の終わり頃、切ったリンゴを沢山のせたが大皿が出された。喉が激しく乾くので、オレさまもひとつ取って食べると、なかなか新鮮な味わいである。「このリンゴとても美味しいね、変わった味がする」 というと、M野さんが 「これ、ラ・フランスだよ」 と教えてくれた。なるほど洋ナシか! と過去に遡ってその味覚を思い出し、懐かしさに喜びつつもう一つ食べてみる。「リンゴみたいでもあるね」 と今度はじっくり味わいつつ首をかしげていると、M野さんもまた一つ食べて 「うん、ラ・フランスだ」 と深く頷いているから、洋ナシとリンゴとはかくも近似したものであったか、と納得しかけたら、横からY山さんが 「両方入ってるんだよ」 と教えてくれた。