近頃、レッド・ツェッペリンばかり聴いている(理由は明白)。LPは一揃い持っていたりするが、プレーヤーの準備をするのが面倒なので、ずっと昔に録音したテープをさらさら回して聴いているわけだが、どちらかというと少年期から感覚派だったオレさまは、たとえ好きな音楽でも必要を感じないかぎりはわざわざ曲名を覚ようとはしなかったので、よく知っているのに名前を知らないままの曲が山ほどあったりする。たとえテープにラベルが貼ってあっても、それがアルバムタイトルだと思ってはいけないし、曲名らしきものが書いてあっても、実は自作のデタラメな即興詩だったりする。あのときも今も、自分ほど疑わしい存在はないのである。

しかしながらいま、そうしたある種のダイナミズムを若さとともに失いつつあるオレさまは、五感だけで捉えてきたこの七色の世界が少しずつ色褪せようとしている現実 (事実と真実と現実とは異なるものだ) に一抹の不安を感じて、必死にこれらの耳慣れた旋律を文字コードに置き換えては、デジタル的な発想で再構築を試みようと努力するのである。テープを止めてはインターネットの試聴サービスなどを利用してせっせと曲名を確かめたりする。ああ醜いな、と思いながらも、指先でかき集めた砂粒をもって、綻び始めた記憶の壁を再び塗り固めようとしている。

オレさまが近ごろ懐かしく思い出す曲には、”Over The Hills And Far Away” という名前がついていた。この冒頭のリフが簡単なのでよく弾いてみたものだったが、なんでこんなヘンテコなリフを思いつくのだろうか。その一方で、”The Rain Song” みたいな幻想的なギターが弾けるのだからな。たまらんよな。






クリスマス・キャロル