■M村氏に関する断片

年齢を重ねるごとに1年の過ぎる速度が速くなっていくように感じるのは、
1年間という時間の長さを、無意識のうちに自分の人生の長さと比較しているため
なのだとM村君は述べ、これを自ら 『M村理論』 と名付けた。

  2歳の人が感じる1年間の長さ → 我が半生である
  5歳の人が感じる1年間の長さ → 我が人生の20%を占めている
 10歳の人が感じる1年間の長さ → 我が人生の1/10に相当する
 30歳の人が感じる1年間の長さ → 我が人生に対して消費税分くらいか
 50歳の人が感じる1年間の長さ → 我が人生はいろいろあった

■M村氏に関する断片/その2

M村君からは、速読術や記憶術に関する書籍を沢山貸してもらっているのだが、
机の上に並べたままでほとんど手がついていない。貸してくれるときに要約を
聞かせてくれるので、読む必要を感じなくなってしまうからだ。
彼は的確に要約する。要約できるのは、要するに正しく理解しているということだ。

先日もたまたま何かの問題解決の糸口を見つけた際に、なぜその解決方法を
発見するに至ったのか自分でもわけがわからぬとオレさまが腕を組んで考えて
いたら、”啓示” の構造について彼の知るところを要約して聞かせてくれた。

「まず死霊集めなのです」

やはり呪術的な手続きの産物かと納得しつつ耳を傾ける。
「死霊」 を集めたら、次にそれをもって 「熟考」 する。そして徹底的に
熟考した後、それを意図的に 「忘却」 することで、突如としてある日に
不思議な 「天啓」 が得られるのだ。
しかしここで終わってはいけません、と彼は続ける。
問題はそのひらめきに、しっかりとした形を与えることが大切なのであって、
この最後の 「完成」 こそがむしろ最も重要な作業なのだという。

「生まれてきた子供を期待はずれと感じるのは、この最後の工程が
欠如しているからなのです」

いったい何の話をしておるのか。まだ実感として受け容れ難いと腕を組んでいたら、
今度は、エジソンが電球を発明するまでに千回も失敗したことについて、
「私は千回試行しても点かない電球を発明したのだ」 とひらきなおったという
エピソードを引き合いにしながら、堂々としていれば良いのですよと
景気づけてくれた。

ところで、
この ”ひらめき” の構造の背骨になっていると思われる 「忘却」 の課程で
いったい何が起こっているのかをM村君と考えているうちに、人間の思考回路には
エクストラネットイントラネットがあるのではないかという啓示を得た。
”意識と無意識” と言ってしまえばそれまでなのだが、あえてイントラネット
呼ぶことで、無意識下でプログラムが起動しているイメージが強まる。
上述のプロセスをモデル化すると、

(1)エクストラネット系でデータ収集
(2)エクストラネット系で各種マスタとマッチングしつつテーブル化
(3)イントラネット系へアクセス権の引き渡し
   ※エクストラ系は他のことをし始める。イントラ系では(2)のデータを処理中
(4)イントラ系のジョブが完了、エクストラ系へレポート出力
(5)エクストラ系でログを解析しながらデータベース化

という感じか。
できればファイアウォールを通っているポート番号が知りたいものだ。