新書ばかり読んでいることに飽きて、少しまともな本が読みたくなったので、
朝からバタイユの 『眼球譚』 を読む。あきれたアカデミズムだ。

午後から出かけて、上野の国立西洋美術館へ行く。
美術館はこの夏から常設展示の任意の作品に対するエッセイを募集していたのだが、
( 『いろいろメガネ −あなたがつづるこの1点− 』 とかいう企画)
これが10月末をもって締め切られて審査の段階にはいった。
入選したエッセイは、美術館の展示室内やホームページで紹介されるらしい。

この審査にあたるのが、美術館の館長と、脚本家の内館牧子と、イラストレータ
みうらじゅんの3名なのだが、みうらじゅんの審査方法は講評会という形で
一般の人に聴講する機会が与えられた。オレさまはその聴講会に応募したのである。

まず、美術館の意図として、「美術史を離れた自由な視点からの鑑賞」 に力点を
おいた企画なのだという説明があった。そうした前提で、美術館を訪れた人に
常設展示のなかから好きな絵画を1点選んでもらい、それに対する文章を自由な内容
で募集したところ、400点以上の応募があったらしい。それを、みうらじゅんが、
みうらじゅんの好みで45点まで絞ってあるので、その中から最終的な1点を聴講者の
全員で決めて ”みうらじゅん選” としようというのが今日の集まりの趣旨だった。

そういうわけで、この 『みうらじゅんの大講評会』 は、国立西洋美術館の地下2Fに
ある講堂に約150人の男女が集まって予定どおり14時から始まった。
400字詰め原稿用紙1枚のエッセイ45点を、1点ずつ対象の絵画と一緒に
スライドに映しながら鑑賞する。文章についてはプロの人が読んでくれた録音まで
添えられている。聴講者はただ口を開けて待っていれば良かった。

寄せられたエッセイの主は、老人から小学生まで様々だったようだが、
とくにみうらじゅんの感性で選ぶと、小学生の文章のほうが多くなってしまうようだ。
いずれにせよ、大人の文章は共感や関心を引き出そうとする意識が見え隠れするし、
子供の応募作品は授業の一環として書かされたものが多いようで、なるべく手短に
宿題を済ませてしまおうとする意図が行間に滲んでいる。

それでも、それがなかなか面白い。
たとえばポール・シニャックの 『サン=トロぺの港』 を選んだ子供などは、
”近くで見ると 「ポンポンポンポン」 と描いてある” と何度も感心していたり、
マイヨールの彫刻を選んだ子供は ”こういうのは天才くらいしかたぶん作れません”
と観念していたりする。

以下は、クールベの 『りんご』 について書かれたエッセイから抜粋。
 
 ”(色が淋しそうだと言及したのちに)さびしいときはリンゴは描かないものです”

もうひとつ、同じクールベの 『りんご』 について書かれた文章から抜粋。

 ”ふつうリンゴを描くときはリンゴのへたも描くのに(描かれていない)”

特にこの ”リンゴのへた” に関する意見は、絵画の本質に迫る鋭い指摘である。
この11歳の少女は、絵画が記号であることを直感的に理解しているのだ。
他人が見て一目でリンゴだと判断できないような描き方をしておいて ”りんご” と
言葉を添えるやり方は、「タモリです」 と言いながら黒いサングラスをかけずに何かする
モノマネのようなものだと、彼女は厳しくクールベを批判している。
オレさまはこの子のエッセイに一票を投じた。

これに似た問題として、ベルナール・ビュッフェの 『鰊のある静物』 なども、
鰊(にしん)の字が読めない子供には、画面上に無造作に描かれた数尾の鰊の影が、
ただの机の汚れに見えてしまったりするようだ。画家は猛省するべきである。

もう少し続ける。まず、野崎君はオンファレに似ているらしい。複数の証言があった。
それから、ミロとロダンは小学生に大人気で、ミロの抽象画に描かれている ”*” の形は、
ミロが生前あまりに不遇だったため飢えて米のまぼろしを見たのに違いないと心配しているし、
ロダンの 『地獄の門』 の作り方がたい焼きと同じであったことにショックを受けたりしている。
ちなみに 『地獄の門』 は4005年まで残っていて欲しいそうだ。

それから、マネの 『ブラン氏の肖像』 については、すばらしい解説が寄せられた。
この絵のなかで威張っているブラン氏は、いつも決まった時間に買い物に出かけるのだが、
皆にはお土産にパンを買って帰るのに、自分にだけは秘密でドーナツを買うらしい。
けれども誰もがそれを知っていて、何故かというと、ブラン氏の口ひげにドーナツのチョコや
クリームがついているからなのである。
(そういわれると、この口髭の茶色が、もうチョコレートにしか見えない)
ブラン氏は、大人たちからは 「歩く時計」 と呼ばれ、子供たちのあいだでは、
「ちょびひげブラシ氏」 と呼ばれているのだそうだ。

なかなか。

絵画と、その絵画を予備知識なし(できればタイトルも知らないほうが良い)で見た人
の感想文とを、並べ併せて鑑賞する行為が、なかなか楽しいものであることを知った。
その意味で、この企画は大成功だったと思う。まあ、一歩間違えば誰かが書いた文章を
皆で寄ってたかって笑いものにするような悪趣味な世界にもなりかねないわけだが、
みうらじゅんは絶妙なバランス感覚で美術館の期待に応えてみせたのだった。
最終的に皆で選んだ一点も、結果としては誰も傷つかない形におさまったし、
美術館もほっとしていることだろう。

惜しむらくは、みうらじゅん自身としては、美術館のコレクションのどの作品に惹かれる
のかを聞く機会がなかったことがやや残念ではあったが、その代わり、皆の投票を集計して
いるあいだに、彼の仏像趣味について、少し話を聞かせてもらうことができたのは収穫だった。

すでに、ウルトラマンのデザインは中宮寺弥勒菩薩像から強く影響を受けているはずだ
という彼の説は聞き知っていたのだが、さらにウルトラマンの設定の原型であるベムラー
という怪獣(そういう歴史的背景も知らなかったが)のデザインにおいても、興福寺
迦桜羅(カルラ)像が参考にされたものだという話を聞いて感動を覚えずにはいられなかった。
テレビの前の子供達は知らず知らずに仏像に対する畏敬の念を刷り込まれていたのである。
これもまた文化教育であるか。オレさまも東大寺戒壇院の広目天とか大好きだしな。

さらに、みうら少年が中学生になったときには、『エマニュエル夫人』 のポスターと
弥勒菩薩像との類似にも即座に気がついたそうだ。みうらじゅんの精神遍歴を垣間見る
ような美しいエピソードである。

他にも、みうらじゅんが撮った、いろいろ彫像に関連したスライドを見せてもらった。
そのなかで判ったことは、彼が韓国に行ったことがあるということ、1996年には
インドを旅行していること、1998年12月22日には青森にいたこと、1999年
の12月には名古屋、2002年には石川県にいたこと、などだ。

そういう感じで、最後に皆の投票で選ばれた1点が発表され、喝采の中で、当初の予定が
1時間もオーバーして大講評会は終了した。

しかし、こういう美術関連の催し物というのは、女性が圧倒的に多いことには参る。
今日も8割方が女性だった。少なくとも単身でのこのこやってきた男性はオレさまくらい
ではなかったか。そのせいかとても緊張して、会が始まった直後などはエコノミークラス
症候群にでもなってしまいそうな気がしてちとヤバかった。

帰りに、東京文化会館自動販売機でインスタントコーヒーを買って飲んだ。
どこかのクソガキが、レギュラーの ”あるある探検隊” のマネを、
わずか13文字のセンテンスの中に、ウ○コだのハナ○ソだのてんこ盛りで、
ドゥドゥビドゥビドゥバ、とかやっている。なるほどなあと感心する。

帰宅してみると、義父母と義妹と義弟と乳幼児2人が遊びに来ていた。