病院からの電話で目が覚める。今朝未明、母がついに病棟を脱走したらしい。
必死で捜索にあたっていた看護婦さんたちのところへ、母の行きつけの
デイケアセンターから連絡があって、そこで居所が判明したそうだ。
オレさまがデイケアセンターまで迎えに行って病院まで連れ帰ることになる。

寝ぼけながら大急ぎで着替えたり歯を磨いたりしてデイケアセンターへ向う。
母に小銭を持たせたのが間違いだった。不自由な身体とはいえ、タクシーを使えば
どこへも簡単に移動できてしまうのだ。

9時頃にセンターに到着。母はそこでコーヒーを飲んで待っていた。がっかりする。
センターの人々は、代わる代わる母を叱らないでやってくれとオレさまに懇願する。
もしも母が政治家だったなら、ひとかどの悪人として大成していたに違いない。

オレさまが到着するや、悪びれない様子でさっさと荷物をまとめはじめた母を、
苦々しい思いで睨みつけながら、タクシーで病院まで連れ帰る。
本当に辛い思いで入院している病人が沢山いるのに、その人たちの世話のために
看護婦さん達は毎日とても忙しいのに、ううう、いったい何を考えておるのか。
ああ、言わんでも良い、何も考えておらぬのだろう。

10時頃にタクシーが病院に到着。
母とは違ってオレさまは、明るく迎えてくれる看護婦さんたちに顔向けもできず
俯いたまま病室に向かって急ぎ足になる。スタスタと母の足取りこそは軽かった。
これでも左足にはやや麻痺が残っているのだ。血圧を測り、朝の分の薬を飲んで
さっさとベッドに横たわる母の背に、夕方またくるからときちんと伝えてから
こそこそと病院を後にする。

太陽が眩しい。以前から申し込んでおいた試験を受けるために後楽園へ向かう。
後楽園で試験といっても、天皇賞のことではない。とにかく楽しみにしていた
試験なのである。母の脱走のおかげでヒヤヒヤしたが、なんとか無事に受験できた
ことを神様に感謝しなければならない。計算などはなく知識を問われる試験なので、
あっという間に終わってしまった。自己採点では7割くらい。もう少し取れると
思ったが、合否は微妙なところだと思う。

3時半頃に病院へ戻ってみると、当たり前のように母の姿が消えていた。
引田天功か。すでにデイケアセンターから連絡があったようで、今度は妻が迎えに行った。
オレさまは病院の待合室で、小さなテレビ画面ののっぺりとした光沢を眺めながら待つ。
展覧試合となった天皇賞を勝ったのは牝馬ヘヴンリーロマンスだった。

やがて母が現れた。そのすぐ後には両目に涙を溜めながら妻が続いてくる。
看護婦さん達が、ひきつった笑顔でおかえりなさいと交互に母に話しかける。
彼女たちも涙目である。しかも冷や汗がびっしょりである。
オレさまは母を法廷に引き摺り出し、すぐさまカテリーナ裁判を始めた。

”いったいどこまで、カティリーナよ、われわれの忍耐につけ込むつもりだ”

こうして母は、今度こそ大人しく病室に戻った。
なぜなら外は暗くなってきたし、夜風が肌寒くなってきたからである。
消灯時間の夜9時まで母を見張り、眠いのを我慢しながらふらふら病院を去る。