7時半起床。未だ夢のなかにいる妻はそのまま寝かしておいて、
自分は居間へいって、昨夜録画しておいた 『エンタの神様』 を観ながら、
オリエンタルラジオの序盤の台詞をメモに書き写したりする。

デンデンデデンデンデンデデンデ、デンデンデデンデンデンデデンデ、
デン! デン、デン!(中田が前、藤森が後に立つ)

 ”バブルを崩壊させたのは僕です”
 ”あっちゃんカッコイイ!”

デン!(入れ替わる)

 ”オリエンタルラジオです”
 ”お願いします”

あっちゃんいつものやったげて、オウ聞きたいかオレの武勇伝♪
そのスゴイ武勇伝をゆったげて、オレの伝説ベストテン!
レッツゴー!

M村君はシンクロニシティのことをよく口にする。彼自身がそれを頻繁に
体験するからなのだが、オレさまも今朝の新聞の番組欄を開いたときに
ピピピと感じた。NHKの 『新日曜美術館』 でユトリロの特集をやるらしい。

偶然にもオレさまは、この数日間、ときどきユトリロのことを考えていた。
彼の名を思い浮かべるとき、オレさまは過剰に感傷的になってしまう。
ユトリロはなぜモンマルトルの白い壁ばかりを描き続けたのか。

新日曜美術館』 を横目で観ながら、少し考えをまとめてみようと思って、
テキストエディタに向かって、パチパチとキーボードを叩いていたら、
突然、パソコンの電源が落ちた。

顔が真っ青になり、心が真白になり、目の前が真っ暗になった。
電源ボタンを押してみる。反応しない。死んだ。パソコンが突然死んだ。
オレさまは無意識のうちに、眠っている妻に助けを求めていた。

目を擦りながらブツブツ言っている妻に促されて、フリーダイヤルでメーカー
のサポートデスクに電話をかけた。つながらない。ぜんぜんつながらない。
心配そうにこちらを見ている妻に、ここは良いからキミは食事の仕度をしなさい、
と命じておいて、また受話器に耳をあてる。つながらない。全くつながらない。
しかもときどき喋るのは機械の声だ。ユーザー登録をしている人から順番に受け
付けております、とかなんとか言ってやがる。おいCE、そこにいるのは判って
いるのだ、さっさと出て来い。人間どうしで話し合おうじゃないか。
そのまま15分ほど発信音を聞いていたが、ついに耐えかねて電話を切る。

ユーザー登録をしておけばよかったと、焦りながら後悔あとを絶たず。
呆然として、マニュアルに書かれたサポートデスクについての注意書きを眺めて
いたら、ふと故障時にはまた別のダイヤルが用意されていると書かれてある。
慌てて電話をかけ直したら、今度はすぐにつながった。なんだようもう。
電話の相手に、困っているんです突然電気が切れちゃったんです、と説明すると、
まず名前を聞かれた。

電話のむこうの人は落ちついていた。電圧がかかり過ぎたときに自動で放電する
ことがあるという。本体からすべてのコードを取り外して5分待ってみてください
と説明を受けた。やれやれ。電話を切りながら、ため息をつく。

すべてのコードを取り外して本体を放置したまま、妻に呼び出されて食卓につく。
ゆっくりと2日目のカレーを平らげて、ついでに歯を磨いて、シャワーも浴びてみた。
たぶん30分は経過しただろう。ゆっくりとパソコンのほうに近づいて行ってみる。
ビックリさせやがって、などと優しく話しかけながら、コードを繋ぎ直してやる。
そして電源ON……応答なし。

振える指先で、再びサポートデスクにダイヤルする。
保証書の日付を確認された。購入したのは、ちょうど1年前の9月22日だった。
運が良かったですね、などと慰められながら、何が何だかわからないまま、必要な
ものを確認させられた。本体と、電源ケーブルと、保証書と、修理依頼書なんだか
葬式の喪主として互助会の人から説明を受けているような気分だ。無償で修理して
くれるというのは有り難いが、回収から返却まで2週間を要するという。しかも、
ハードディスクの内容は保証できないということだ。他の故障ならまだ抵抗のしよう
もあるが、電源があがらないのだからもう 「諾」 とするしかないではないか。
パソコンのやつ、卑怯な壊れ方をしやがって。

失ってみて初めて気がつく。自分もネット依存症にかかっていたのである。
自宅でインターネットが使えないという状態は、まるで建物に窓が無いような閉塞感
を我々夫婦のうえにもたらした。不凍港を求めて南下するロシア人の気持ちが少し
わかるような気がする。そのうえ、得もいわれぬ喪失感までついてくる。触角を失っ
たアリがフラフラになるのは、生理的なものよりも精神的なダメージによるものなの
ではないだろうか。しかも、情報による社会的差別が自らの上に行使されたような
淋しく惨めな感覚さえ湧いてくるようだ。突然パソコンの電源が切れたとき、オレ
さまの電源もバチンと切れたのではないか。いまここにいる自分はただの幽霊なので
はないか。

自分はともかく、自宅でしかインターネットが使えない妻が哀れに思われた。
そこで、旧いPCでインターネット環境を再構築することにした。かつてはダイヤル
アップ接続しかしていなかったマシンだが、こんなときのためにM村君からLAN
ボードを頂いてあったので、この機会に拡張してみることにする。

拡張作業は思ったより簡単だった。こんなことならもっと前からやっておけば良かっ
たのである。ネットの設定のためにプロバイダ提供のCDをセットしたら、
IEのバージョンを勝手にあげられてしまったので、ディスク容量が足りるかどうか
ヒヤヒヤさせられたが、なんとか無事にセットアップできた。さらに、アンチウィルス
ソフトもインストールした。このマシンには少し重過ぎるようだが、世界平和のために
これは必要なことである。

深呼吸してから、とりあえずメールを受信してみる。受信メッセージなし。まあよし。
次にブラウザを起動してみる。するとブラウザは勝手にマイクロソフトに繋ごうとし
始めた。いつまで待っても右上の 「e」 の字がくるくる回っているばかりで、
変化しない。画面を閉じて、もう一度やってみる。同じ状態で起動しない。念の為
もう一度やってみる。起動しない。気が動転し始める。IEのバージョンを上げたから
だと思って、コントロールパネルからバージョンを戻す指示をする。

再起動がかかると、アンチウィルスソフトが何回かエラーを吐き出してきたが、
それを無視してIEを起動してみる。起動しない。IEの内部でエクステンションエラー
が出ているとかなんとかそんなの知らない。もしかすると、アンチウィルスソフトが
問題だったのかも知れないと思いはじめ、もう一度IEのバージョンをあげるために、
プロバイダ提供のCDをセットする。さっきやったときと同じように、途中で再起動が
かかる。マシンが起動すると、またアンチウィルスソフトが何回かエラーを吐き出す。

鬱陶しいので、アンチウィルスソフトを削除することにして、コントロールパネルから
アンインストールを指示すると、IEのバージョンが5でないと削除できませんときた。
呆れながら、コントロールパネルを閉じようとしたらそのまま画面が固まってしまった。
一瞬オレさまも固まってしまった。泣く泣く強制的に電源を落とす。起ち上げ直したら、
またアンチウィルスソフトが何回かエラーを吐き出す。

根気よく、プロバイダ提供のCDをセットして、IEのバージョンを上げようと試みる。
ところが今度は途中でインストーラが固まってしまった。あれもだめ、これもだめか。
仕方が無い、電子メールだけで我慢しようと思ったら、これも先ほどIEのバージョンを
下げたことの影響なのか、ネット接続ができなくなってしまっていた。八方塞がり。
なぜこう毎日のように絶体絶命なのか。

こういうときは、とにかく原点に帰るべきなのだ。
Windows98の再インストールを覚悟して、PCに添付の起動ディスクを探す。
再セットアップ用のCD−ROMも探す。部屋中引っ掻き回して、やっと見つけ出す。

ここでタイムアップになった。

約束があったので、一機が大破、一機が航行不能という惨憺たる敗戦場を後に、
妻と二人で阿佐ヶ谷まで出かける。敗戦の責任はすべて私にある、とバスの窓から
見える平和な街並みを涙で滲ませながら、こころの中の陪審員たちに述懐する。

夜7時から、ラピュタという劇場で 『アンパイヤ』 という芝居を観賞する。
主催の 「生活向上委員会」 という劇団に知人が在籍しているので招待を受けたのである。
芝居は1時間半で終わった。なかなか楽しい作品だった。プロ野球ファンが観たらもっと
楽しめたろうと思う。パソコンが壊れたりしていない人ならさらに楽しめるはずだ。

芝居がはねて、蕎麦屋で夕食を食べてから帰って来る。夜10時を回っていたが、
すでに生ビールを2杯飲んでいたが、パソコンとの決着をつけずには眠れない。

帰宅後、さっそくOSを再インストールしてやろうと、腕まくりをしながら電源を投入。
アンチウィルスソフトの鈍重な動作にイライラしながら、ふいに、なぜPCを起動して
しておるのだ、と疑問が湧いてきて、苦笑いしながらマニュアルを引っ張り出して少し
読んでみる。ほら、インストール時にはプロダクトIDが必要と書いてある!

部屋中を引っ掻き回してみたが、そんなIDが書かれた資料は見つからない。
なぜこう毎日のように絶体絶命なのか。

運命を呪いながら長い1日を終える。