art という英単語がある。この語は一般に 「芸術」 と訳されるが、
「人工」という意味もあるらしい。なにしろ英英辞典にも第一義として
「Work of man」 とある。だいぶ以前に、ハリーポッターを読んでいるときに、
初めてこの意味で使われている文章に出会って少し困惑させられた。
近頃、その art という言葉について考えている。

なにしろ芸術というものを自然崇拝とか、神技の模倣、のように思い込んでいた
わけで、人工という科学的で無機質な言葉と、芸術という血湧き肉踊る言葉と、
とうてい一つの言葉で使いまわすことなどあり得ないと、そのときは感じたので
あるが、しかし、英語圏の人にとってはそうではない。芸術とは人造のものなの
である。なるほど、”ルネッサンス” という運動の輝きが際立ってくるようだ。

これは、思い込みの激しいオレさまにとっては、カルチャーショックだった。

あくまでも 「神が成したもの」 に対する 「人が作ったもの」 を指す言葉
として art があるのだと考えれば、芸術作品であろうが、人工衛星であろうが、
ダムであろうが、耳かきであろうが、共産主義であろうが、マンホールを叩く
クツの音であろうが、すべて art なのである。人類の遺産は、負の遺産も含めて
すべて art なのだということは、要するに記憶も含めた現世の全てが art なの
であって、我々は常に art とともにあり、すべての人類は artist たり得るのだ
……もしかして、また英語が得意な人が聞いたら恥ずかしい誤解をしているの
だろうか。まあ、いいか。

誤解でも良い。坂本竜馬も 『日本外史』 をデタラメに読んで、そこから何らか
のインスピレーションを得た。誤解がなければ飛躍もないのだ。オレさまは、
とにかくこの世界を包括する言葉が欲しいと思っていた。そしていま目の前に
広がりはじめた art(人の領域) と nature(神の領域) ……うーむ。
アートネイチャーって凄い商品名だったのだな。

自然以外のすべての事物を art として鑑賞する。人工物を芸術と混同して観る。
人間の仕業のすべてを、絵画を観たり音楽を聴いたりするような姿勢で享受する。
エプロンの形も、電話のベルの音も、横断歩道も、すべては art だったのだ。
電車のドアによりかかりながら、ドアの窓枠についているネジの頭をじっと見る。
このネジをここに埋めることも、誰かが思いつき、そして誰かがネジを締めた。
art なのだ。オレさまは毎朝毎晩未来の文化遺産に乗って通勤していたのだった。

感動しながら夜遅くに帰宅。
すでにスポーツクラブで運動するほどの時間もないので、今夜はゆっくり食事
してピカピカに歯を磨いて寝てしまおうと思っていたら、台風の影響でお風呂の
火が点かないのだがどうするかと妻に相談される。

慌てて自転車を漕いでスポーツクラブへ走る。