元気になりたいときには山へ行く。
癒されたいときには海へ行く。
鎌倉にはその両方がある。

北鎌倉に着いたときには小雨が舞っていたような気がしたが、それもすぐに止んで、
蒸し暑い曇り空となった。鼻風邪を引いていたせいで、草の息吹も、潮風も、線香の香りも、
雨の匂いもわからない。音の無い映画を観るようだ。着いて早々、帰りたい気分になる。

最初は、浄智寺の脇の通りから銭洗弁天を目指した。途中に茶室に続くような小さな構えの
門があり、その向こうで、薄いオレンジ色のノウゼンカツラの花が、黄緑色に湿った苔の
うえに華やかに散っていた。黒アゲハがその上を舞っている。どこかでカッコウが鳴く。
しばらくその景色に二人で見惚れる。

細いけれども舗装された道を細々と歩いていたのだが、途中から道が悪くなり、
そもそも妻はスカートにサンダル履きで、とても山道には入れそうにない。
来た道をしぶしぶ引き返して、しばらくうろうろしてみたが、舗装された迂回路が見つからず、
仕方なく目標を変更して鎌倉駅を目指すことにする。慣れない道でも、駅に着いてしまえば、
いつものように小町通りのミカドコーヒーでモカソフトを食べ、古書 『芸林荘』 で文庫を3冊
買っていつもの鎌倉散歩コースである。鶴岡八幡宮を参拝し、お御籤を引いたら末吉だった。

 願い事:改心してやりなおせば取り戻せる。

これは、健康のことを差して言っているのであろうと得心する。
妻の験は凶だった。玉砂利の上に両手をついて、やっぱりか、と悔し涙をこぼしていた。

妻のたっての希望で、鎌倉最古の神社と云われている八雲神社を訪ねる。
神社をハシゴするというのもいかがなものかと思われたが、日本列島には神様が八百万も
坐すわけで、そのうちのいくつかの神様に特別な義理立てをするのも無理な話だから、
まあ適当に赦されるだろうと言い訳を重ねて八雲神社の神様にご挨拶する。

参拝中によくよく観察していたら、妻は賽銭箱に百円玉を投げていた。オレさまは十円である。
とりあえず、金額の問題ではありませんように、とお祈りする。

妻が社務所で買い物をしている間、境内で休んでいたら、地元の子供と思われる女の子
がピンクの自転車を転がしてやってきた。珍しそうにオレさまの顔をながめ、
「いっしょにきたの?」 と小さな指で、向こうの妻の背中を示した。そうだ、と応える。
それからちょっとだけ二人で世間話などする。子供はとりとめのない話が好きだ。
少女はそのうちバイバイと手を振ってクールに去っていった。

入れ替わりに妻が戻ってきた。お御籤を引いたら大吉だったらしい。
これはどういうことか、と首をかしげているので、禍福はあざなえる縄の如しだろう、
と助言してやる。境内の真ん中で 「神様もずいぶんいい加減だ」 と腹を立てる妻の勇気
に感心する。

八雲神社を背に歩き始めたら、途中の路地でさっきの女の子にまた会った。
じつは八雲神社の神様ではなかったかと睨んでいたのだが、思い過ごしだったか。
少女は一人で、ホウキにナワトビを結んで釣竿を作っているところだった。

「あたしここにすんでるの」

彼女はそう言いながら、小さな指で建物を指差すが、生憎オレさまは女房連れである。
また今度な、といって別れる。永遠の別れが、オレたちの胸を締めつける。
”永遠の別れ” などという幻想を、人は何故いともた易く受け容れてしまうのか。

妻と二人で、由比ガ浜まで歩く。さっきの女は誰よ、などと妻もヤボな役回りを演じる。
オレさまは彼女の機嫌をとるために、途中の酒屋で冷えた缶ビールを2本買い、
静かな浜辺で海を眺めながら乾杯しようと誘う。

曇り空にも関わらず、由比ガ浜は水着姿の若者達で賑わっていた。海の家が沢山並んで、
近くを通るたびに、ポン引きみたいなアルバイトの男女に前を塞がれて話しかけられる。
ふと思い返せば、もうずっと長いあいだ夏の由比ガ浜を訪れていなかったのである。
いつも見慣れた静かな浜辺を想像していたものだから面食らってしまった。

二人で、砂浜にしゃがみ込んで、ビールで乾杯する。
風はなく、ウィンドサーフィンする影もなく、太平洋は静かに凪いで、海水浴をする人々
の頭を優しく撫でてやっていた。カリフォルニアで見た太平洋も、丁度こんな感じだったな。
酔った目で飽きるまで海を眺めてから、ぼちぼち来た道を辿って帰る。