すっきりしない天気。
調子に乗って鈴木大拙を読み始めたが興が乗らない。

引き合いに出される禅問答など、ほとんどついて行けなくて難儀している。
これは、オレさまに脳が足りていないせいも多少は関係あるかも知れないが、
これまで西洋教育によって育てられてきたことも影響しているのではないかと思う。

教育のせいにするというのは、己の愚かさをそのまま証明するようなもので情けないが、
西洋人に東洋思想が理解できないように、西洋的文明社会に生きる平均的な現代人には、
もはや 「禅」 的思考を容易には受け容れられなくなってきているのではないだろうか。

だから仕方なく、岡倉天心だの、鈴木大拙だの、を読んでみるわけである。
しかも外国向けに英語で出版された著作を、再び日本語に訳したものを読まねばならぬわけである。
ワタシ、ニホーンノココロ、ワカリマセーン。
そういえば、ドナルド・キーンなんかも、もっと読んだ方が良いかも知れない。

ところで禅の思想というものは、老荘思想と仏教の融合したもののように聞いているが、
自分としては、わざわざこの二者を融合させることの必要性を感じない。
あるいはそのことで、無意識のうちに抵抗しようとしているのかも知れない。
余計なものを持ち込むなよ、という感じ。