プリン縛るS

朝7時半起床。連休の終わりが近づくにしたがって、起床時刻が遅くなってきた。
雨戸を開けると、昨日から降っていた雨は止んでいたが、空は銀色に滲んで、
アスファルトもまだびっしょりと濡れていた。

身支度をして、家を出たのは8時半過ぎだった。

  昔から笑う門には ラッキーカムカム〜
  あなたも私も 笑って暮らそうよ♪

という笠置シヅ子の 『ヘイヘイブギー』 を心のなかで口ずさみながら、
難しい表情をしていたのは、ラッキーカムカムという馬がいたかどうかを、
思い出そうとしてのことだった。

府中競馬場に着いたのは9時40分頃だった。
のんびりしていても1Rの馬券が買えてしまうので、仕方なく1番人気のワイドを1点だけ買う。
ヒカルエンジェルのほうは問題なかったのだが、フラワーレインボーが直線でずるずる後退し、
代わりにホクトオー指名のスパイラルリング(人気薄)が伸びてきて3位に入線。
ヒカルエンジェルとのワイドで15倍もついて、ちょっと悔しい。

Y山さんとは1R直後にパドックの電光掲示板下で待ち合わせていたが、
これまでに1度もそのとおりに会えたことがない。今回もやはり約束の刻限を過ぎても現れなかった。
もう知らん。勝手に2Rの検討に入らせていただく。パドックをみる限り、オレさまが本命視していた
ナリアガリはかなりイレ込んでいたので、その前後のゼッケンの馬も対象からはずし、
軸にはケンコウヘイローという馬を採用することにする。「健康が一番」 といって後で自慢したかった。
結局、ナリアガリの隣の枠にゲートインしたサニーブライアンの弟が快勝してハズレ。

2R直後にパドックの電光掲示板下に行ってみたが、やはりY山さんは現れない。
もう絶対に知らんからな。このまま最終レースまで、誰にも連絡せずに一人で勝負してやるからな。
と思ったが、ちょっと淋しくなったので、公衆電話を探して、Y山さんのケータイに電話する。
すると、すでに競馬場にいてパドックを見ているという。電光掲示板とは反対側の人混みに紛れているらしい。
まったくどういうことか。とにかく電光掲示板下で合流する。「2R当たったよ」 とか言ってやがる。

3Rの直後に、Y成君とN藤女史と合流する。
いつものように内馬場に行って、ビニールシートをたくさん敷きつめて羽根を伸ばす。
だんだん空が明るくなって、日差しを感じるようになった。
目の前の芝生では、七色の勝負服を着たジョッキーを乗せた競走馬たちが、障害の前に立ち止まって
その位置を覚えようと頑張っている。

Y成君は、天皇賞馬連850倍を的中させたときに穿いていた、
幸せの黄色いパンツを穿いてきたといって、ベルトをはずして見せてくれた。
その意気や良し。

4R障害。逃げるトウショウトリガーに追いすがるダンシンリボルバー
ゴールする前に 「当たりそうだ」 とはしゃいでいたら、横山義行騎乗のマイネルコルバータに一気にまくられ、
当たりそうだった馬券が一瞬のうちにハズレ馬券に変貌してしまった。
障害競走ではとにかく横山義行を買っておけというこれまでの教訓を全く活かせていない自分に腹が立つ。

5Rあたりで、いよいよY山さんがビールを飲み始めた。
天候も暑くなってきたし、馬券も熱くなってきた。いつの間には空もすっきり晴れわたって、
西の彼方に大きな雲の傘をかぶった、美しい富士山の姿が見えた。
つまり西のメインではアドマイヤフジがくるということか。

6R、モンジュー産駒が出ているのを見て、Y山さん、Y成君の二人が感動している。
N藤女史は、1枠のゲンパチレジスタという馬名から、原発(ゲンパチ?)といえば 「もんじゅ」 などと、
つまらぬことを発見して狂喜し、要するに3人がモンジュー産駒のミスペンバリーを推した。
オレさまには、モンジュー産駒にはエリシオ産駒やペンタイヤ産駒と同じ匂いが嗅ぎとれて、
いかにも怪しげな存在に思われる。まあ、結局馬券に絡まなかったわけで、
「三人寄ればモンジューの知恵」 と、思い出に書きとめておくことにした次第である。

7Rでは、オレさまの指名馬のキラリダイヤモンドやアドマイヤヒラリーが出走していたが、
オレさまの予想としては特別にクイックセイコーを推した。どうしてかと聞かれたので、
ヨシトミに乗り替わるからと答えたら、N藤女史は一生懸命に馬柱のなかに善臣という名の騎手を
探しはじめたのだがもちろん見つかるはずがない。ヨシトミは愛称で、柴田善臣騎手のことだと教えてやる。

つまり彼女はそれほどの初心者なわけであるが、1年近くもPOGで遊んできたはずなのに、
いまだにヨシトミという愛称を知らないのだから天然記念物級の暢気者である。
教育は疑問が起きたその場で行うのが効果的なので、すかさずY成君がN藤女史に問題を出しはじめた。
ヨコテンというのは誰のこと? ……正解は横山典弘騎手のことですね。ノリとも言います。
では、カツハルというのは誰のこと? ……正解は田中勝春騎手のことですね。タナカツとも言います。

「ちょっと待て」

タナカツというのは初めて聞いた。ジェネレーションギャップか?
それでは田中勝春よりもむしろ田中剛のことのように思えてしまう。どうも馴染まない。
オレさまは首をかしげながら、Y成君の出題に引き続き耳を傾ける。

アンカツというのもいますね、トンカツ、アンカツ、ヤマカツ、それぞれ違いを言えますか?
そうそう、アンカツとは安藤勝己騎手のこと、ヤマカツというのは冠ですね。
ヤマカツスズランとか、ヤマカツリリーとか、ときどき馬主が自分の馬の名前につける冠号のことです。

「カンムリ?」
「そう冠……いろいろありますよ」
「冠ならアタシも知ってる。” ゼンノロ ”とかでしょう?」

そのとおり、とY成君もオレさまもニヤニヤしながら頷く。

8Rの頃になって、M川女史がやってきた。
N藤女史とM川女史はお腹が空いたといって、さっそくラーメンとビールを買いに行き、
オレさまもビールを買って飲んだ。いよいよピクニック気分である。

M川女史に、8Rにおすすめの馬はいないかと聞かれたので、6番ドゥーマイベストの名前を挙げると、
ほほう、と納得しながら採用してくれた。いつもなら、オレさまが教えた馬から先に消していくのに、
今日はヤケに素直である。しかも、ドゥーマイベストは逃げるでしょうが最後に失速して3着くらいと
思われますからワイドで買うのが賢明でしょうと補足すると、そのとおりにワイド馬券を買ったのである。

結果、勝ったのはモエレエルコンドル(1番)、2着チョウカイフライト(7番)で、
ドゥーマイベストは5着に沈んだわけであるが、最後の直線では、左側に立っていたN藤女史が
チョウカイフライトを応援して飛び跳ねながらオレさまの頭を叩き続け、右側にうずくまっていた
M川女史は、ドゥーマイベストの不甲斐なさに失望してオレさまの脇腹を小突き続け、
オレさまは正座してこの苦行にひたすら耐えていたのであった。オレだって馬券ハズレているのに。

それから、しばらくの間、M川女史に何度も繰り返し叱責された。
もともとは1−7を買うつもりだったのに、あなたの助言でこんなことになってしまった。
もう絶対にあなたは信用しない。だって、もともとは1−7を買うつもりだったのに、
誰かが余計なことを言うから6番のしかもワイド馬券なんて買ってしまった。
だって、そもそも1−7を買うつもりで準備していたのに……。
サンドバッグの気持ちが良くわかる。

やがてO谷夫妻も登場する。
待っていたメンバーは、O谷君が、どのような組み合わせで何杯のアルコールを消費するかを、
それぞれで予想していたのだが、最初はビールが定石で、次からはひたすらウーロンハイであること
までは統計的に明らかにされているため、勝負の行方は、そのウーロンハイを何杯飲むかという点に
絞られていた。たしかにO谷君が現れたときには、右手にビールを持っていた。

9Rはエイシンブカンとウインルシルが良いでしょうとアドバイスするが、
もはや誰も聞いてくれない。オレさまも馬券が当たったが、弱気の投票で焼け石に水

10Rもアサクサキニナルとビッグコングの1点で良いでしょうと皆に話しかけてみるが、
やはり誰も聞いてくれない。馬券は当たったが、さらに弱気の投票で焼け石に水

この間、O谷君の2杯目がレモンサワーだったことで全員が動揺し、
この勝負も全員ハズレで不成立となってしまった。じつはY山さんあたりはコツコツと
ワイドの穴馬券を的中させて私腹を肥やしていたのであるが、
もはや誰もが他者の馬券には興味なくひたすら自分との闘いにのみ集中していた。

メインレースを迎えても、内馬場の芝生の上で寝転がっていた。
オレさまは、まずマルカジークが実力上位と信じて、そこにアスカロン(オケラオー指名)と、
ビッグタイガー(オレさま指名)を絡めたボックス馬券で勝負した。しかも謙虚にワイドである。
念のため……というか記念のため、ビッグタイガーアスカロン単勝馬券も買ってみた。

ビッグタイガーのスタートは良かった。好位につけて折り合っている。
内馬場のモニターを見上げながら、これはなかなかやるぞ、と思っていたら、
やがてそれが同枠の染め分け帽のビッグファントムだということに気が付いて愕然とする。
わがビッグタイガーは後方待機。待機というか、ついていくのがやっとのようだ。
タイガー、タイガー、じれっタイガー! 直線でもモゾモゾ馬群のなか。もはやこれまで。
スタンドの反対側から湧き上がる大観衆と通り過ぎていく七色の馬群を静かな心で眺める。
想像だにしなかった馬が1、2着して馬券は大荒れだったが、オレさまには何の関係もない。

メインのプリンシパルSが終わって、京都新聞杯も終わって、
もうすっかりやる気をなくした頃に、K藤女史とA日さんがひょっこり現れた。
Y成君は熱くなって最終レースを勝負しに、人込みの中へ消えていき、
オレさまは誕生日の数字で3連複を買って、あとはビニールシートでゴロゴロする。
最終レースを当てたのはK藤女史ひとりだけだった。

競馬場を後にして、京王線に乗り込み、新宿まで出る。
以前にも入ったことのある居酒屋で反省会。1杯180円の生ビールで乾杯し、
それからは、いいちこのボトルを注文して、氷とウーロン茶で割って飲む。
またM川女史が 「作る係」 を自ら引き受けてくれた。オレさまは8Rの恨みがまだ
晴らされていないことを思い出し、どのような形で仕返しされるか判らないので、
ぎりぎりまでビールを飲みつづけたが、酔っていくうちに気が付くとウーロン杯を
飲まされていた。内臓をざざーと冷たいウーロン茶が流れていくのを感じる。

A日さんという人は、坊主頭にスーツを着て無口な渋い感じの人だったが、
飲んでみると陽気な人で声が1オクターブも2オクターブも高くなったりする。
とうとうお店の人がやってきて遠慮しながら、もう少しトレブルを下げていただけると〜……。
などと恐縮していたので苦笑する。

  昔から笑う門には ラッキーカムカム〜
  あなたも私も 笑って暮らそうよ♪

Y成君はだいぶ酔っていたが、しきりに東スポを開いて 「明日は何がきますかね」 と、
競馬ネタで先輩たちの気分を盛り上げようとしている。「お袋がくるよ」 と教えてやる。
明日は母の日なので、母が遊びにくる予定である。

22時過ぎに解散。どうやって帰ってきたのかあまりよく覚えていない。
電車のドア際に立ちながら、何度も膝が抜けて目が覚めたことは思い出せる。
ふと気がついたら地元の駅だったので、ふらふら降りてふらふら帰宅。
酔っ払いは微妙なバランス感覚をもって任務を完遂する。