差つき賞

情報処理試験

早起きをして、9時には試験会場の立教大学に着いていた。
オレさまが指定された教室には70名分の受験番号が割り当てられていたようだが、
実際に試験を受けに来たのはわずか30名程度だった。この30名は午後 II まで受験した。

9時30分、午前の試験開始。
例によって1問目と2問目はとっつきにくい雰囲気だったので後回しにする。
未確認用語を多数発見するも適当に斬って捨てる。いつものようにギリギリではあったが、
制限時間一杯までがんばって全55問を無理矢理マークして終了。
小さな机と椅子のせいで早くも首と肩が痛み出した。

昼食は池袋西口地下の立ち食いソバで済ませた。カレーそば。正確には、ボンカレーそば。
午前の問題数が増えたため休憩時間が短くて困る。とにかくボンカレーそばをそそくさとすすり、
首をさすりながら早足に試験会場にもどる。汗ばむ陽気。

午後 I は難しかった。
問1で見慣れない図に戸惑い、開始後20分を経ても解答用紙が白紙の状態であることに焦る。
とりあえず問1は中途で投げ出して、問2、問3をさきに進めてみる。
今度は見覚えのない関数(COALESCE)が出てきて、暗澹たる気分にもなったが、
いよいよヤケクソの境地に達して書けそうなところを埋め、問1に立ち戻ってみると、
図の意味が少し判るような気がして、大急ぎで余白を埋めてみるのだが中途で時間切れ。
虫食いの答案用紙を睨みながら、さては先の関数はNVL関数のようなものかと思い至る。
うーむ。

午後 II までの休憩時間のあいだ、席に座ったまま腕を組んで考えた。
いつもあと30分あれば答えられたのにという悔しさが残ってしまうのはどうしたことか。
問題理解力と状況把握能力は年々衰える一方である。いったいどうすれば良いのか。
このままでは歳を重ねるごとにどんどん合格の可能性が少なくなっていくのではないか。
うーむ。

午後 I で受けた精神的ダメージが大きい。首もいよいよ痛みが増してきた。
この分では、中山10Rがスタートする前には退室することになりそうだ、そうしたら、
自暴自棄になって後楽園WINSまで行ってしまいそうだ、そうしたら、
モニタで皐月賞を観戦しながら、アンカツアンカツ、と声援など届くはずもないのに、
大人気なく叫んでしまいそうだ、そうしたら、また虚しい気持ちだけが後に残るかも知れない。
などと考えているうちに、午後 II の試験は始まってしまった。

答案用紙をざっと見渡して、迷わずに問1を選択する。
午後 I への失望も手伝ってヤケクソ気味だったせいか、思ったよりも解き易く感じられる。
坦々と答案を埋めていたら、終了時刻の30分前にはもうやることがなくなってしまった。
この30分を、さきの午後 I の問題に使わせてくれたらどんなに有り難いことか。

いまは時間を余して退席することが、非常な贅沢のように思われて躊躇われるので、
仕方なく、問題分を読み直したり、自分の答案を問題用紙に書き写したりしてみる。
それも終わってしまうと、時計は15時50分を示していた。皐月賞はもう確定している頃か。

どうせ午後 I で足切りをくらっている可能性が高いので、
つまらぬ未練など捨てて、潔く退席することにした。

帰宅してみると、妻と義母が庭の大掃除をしていた。居間では義父が休んでいた。
オレさまはグラスに芋焼酎を注ぎ、庭を眺めながら飲み始めた。
録画しておいた 『スーパー競馬』 を再生して観る勇気がまだない。

しばらく、庭で働く義母と妻を眺めていた。
繁茂していた雑草を引き、プランタにトマトとナスの苗を植えてくれている。
高いところに生るから、猫にイタズラされる心配がないと義母が説明してくれた。

義父が目を覚ましたのをきっかけに、勇気を出して 『スーパー競馬』 を再生して観る。
ちょうど皐月賞のレースを観終わった頃、大作君が妻子を連れて義父母を迎えにきた。
子供たちが泣いてわがままを言ったり、背中に乗っかってきたりするのだが、
とても相手をする気になれない。大作君は皐月賞の結果をまだ知らないらしく、
しきりに聞いてくるのだが、とても答える気になれない。