約束のネバーランド』が、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を連想させるという意見はありそうだが、自分はなぜか『ライ麦畑でつかまえて』を思い出してしまう。

ライ麦畑のなかで何千という小さな子供たちが何かのゲームをしている、大人は自分だけで、あぶない崖のふちに立って、崖から転がり落ちそうな子供がいたらつかまえてやる、一日じゅう、それだけをやればいい「ライ麦畑のつかまえ役」。それが、ホールデンが苦し紛れにフィービーに告白した、彼の「なりたいもの」だった。『約束のネバーランド』を自分が読むときは、このホールデンの言葉が通奏低音となってしまうので、本来の作品とは違うもののように鑑賞してしまっているかも知れない。読者である自分の身勝手な脚色。作者の意図するものではない形での解釈。

長く生きるとはこういうことなのだ。あらゆる記憶が紐付こうとしてくる。『チェンソーマン』のデンジの前に『ベルセルク』のガッツが立ちはだかる。『鬼滅の刃』より『鬼切丸』のほうが怖かったなと不意に背筋を凍らせる。たまたま同時に手にした『約束のネバーランド』にも『鬼滅の刃』にも『チェンソーマン』にも『あさドラ!』にも人外が出てくることに気づくと、それらが身勝手に融合して新世界を構築し始める。ああ、諸星大二郎の『生物都市』が蠢きだす。腰も背骨ももう痛まない……。