人は見たいものしか見ないと言ったのはカエサルだとされているが、その原典と思わしき『ガリア戦記』では”人は願わしいものなら本当と思いこむ傾向がある”というような言い回しになるらしい。なるほど「医療の研究が進んだおかげで2050年頃からは人は死ななくなるらしいよ」と軽く耳打ちされたら「そげですか」とすっかり信じてしまうかも知れませんな。まあ、いいか。

錯誤行為は目的を持った正直でまともな心的行為であるとかつてフロイトは主張し、”心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花”と詠んだのは凡河内躬恒であり、青山二郎は「人が見たら蛙になれよ」と蒐集品たちに向かって話しかけていたらしい。なんだかよくわからなくなってきたわけだが、近頃はどうも書かれた文字を読み間違う(というよりも”見まちがう”)経験が多くなった。「解脱」かと思えば「解説」、「股間」かと思えば「設問」、「殺人」かと思えば「役人」、という感じである。その都度メモしてみたものの一向におさまる気配がない。これまでにメモしたものは以下のとおりである。

 凡例)見まちがい⇒実際の表記

解脱⇒解説、股間⇒設問、殺人⇒役人、鈴木⇒絵本、木村⇒木材、全員⇒会員、本来⇒未来、物語⇒物理、本格焼酎⇒本格検討、孫のもの⇒係のもの、駅もわからず⇒訳もわからず、ブラウザの涙⇒ブラウザの"戻る"、トイレのはずし方⇒トレイのはずし方、首都カルタ⇒部首カルタ、握りごたつ⇒掘りごたつ、(縦書き)まり⇒(縦書き)手すり……

ブラウザの涙なんて芸術点が高いと思うが、まあ、いいか。

朝は川沿いをウォーキング。その後はずっとmixi三国志。ギリギリヒーローの2戦目は札幌コスモス賞3着。見間違いではなく3着。負けはしたけれども、最後はしっかり伸びてきた。次走も楽しみ。
夕方涼しくなって出かける。いつもの貸本屋に寄って武論尊×池上遼一『覇-LOAD-』、横山光輝三国志』などパラパラと借りてみる。