最寄の駅で知人と待ち合わせ。お互いに携帯電話を持たないので、時刻と場所を厳しく定め念を押して集合するわけである。時計の無かった時代から人類はあらゆる日時とさまざまな場所で互いに会合することを繰り返し試みてきたわけであるが、そのダイナミズムは時代を下るにつれずい分と薄れてしまったのに違いない。
自分のほうが5分ほど早く現地入りしたようなので、駅の改札付近に静かに佇みながら相手の出現を待つ。駅構内は白を基調にしたシンプルな内装が施されていて、いくつかの天窓からは光も射し込んでくるからとても明るい。その光の射してくる天上高くに、よく見ると金網が張られている。窓辺にも網。また、売店の看板の上面などの燦になっている部分には、ことごとく細長い針金がバリケードのように据え置かれている。 「この殿の御心、さばかりこそ」 と西行法師ならば二度とこの駅には近寄らないに違いないわけだが、まあ、いいか。言葉の通じない他者を疎むことなしに安らかに暮らしていく方法はないか、近頃そうしたことをよく考える。
いろいろと神経を擦り減らしたりもしたが、午前中のうちに大切な用事を済ませることができた。なんとなく夏は良いものである。図書館から返却督促の留守電が入っていたので、夕方には図書館へ駆け込む。このうえはいかようにもお裁きを、などと平に謝りつつ、また平然と数冊借りてみたり。きっと図書館司書の人は、ニガニガしい思いでオレさまのICタグ操作を眺めていたに違いない。その後、書店などにも立ち寄って、重いカバンを背負ったままぶらぶらなどしてみたりもしたが何も買わずに退却。帰宅後は、妻が昼間のうちに録画しておいてくれた 『篤姫』 の再放送を観る。家定、逝ったか。