体調悪い。今日一日はアルコールを控える。職場の報告会のなかで、ふと会話がモチベーションについての話題に流れた。このときに初めて自分はいまの職業が好きなのだということをはっきり自覚したわけだが、それは胸にしまっておくとして、とりあえず、このモチベーションという言葉が昔からどうもあまり好きではない。この言葉が出てくるときには必ず何かが白けているような気がするし、”モチベーションを上げるための工夫” というレトリックに遭っては、たちまちコンクリート打ちっ放しの水槽で飼育されている海獣のような気分にさえなる。さあ、全国のよい子達から氷のプレゼントです、夏本番に向けてアシカさんもモチベーション上げて行きましょう!

日本に初めてパンダが来たというので一目見てやろうと猫も杓子も上野駅を目指した幸福な時代がかつてあったわけだが、当時幼少に過ぎなかった自分もその例に漏れず分別のある大人に手を引かせて当該の動物園まで足を運んでみたところ、黒山の人だかりの隙間の遥か向こうのガラス板のそのまた向こう側の虚ろな空間の一角に無造作に積み捨てられた笹竹の葉むらのその合い間に小さく見え隠れするモノクロの ”何か” ばかりを何度も確認させられるだけの結果に終わり、大層がっかりした記憶がある。仮面ライダーが実は緑色だったことを知らされたばかりの難しい年頃でもあり、只でさえ ”白黒” には不審を抱いていたところへもってきてのこの事件である。モチベーションのあがらないパンダにも同情するが、その疲れた背中しか見ることのできなかったかつての子供達にも同情する。いや、恐らく古代ローマ人でさえも、メンタル面での何らかの工夫を重ねつつ文明を切り拓いていきたのに違いないわけで、朝には気持ちよくベッドから抜け出すとか、腹八分目で夕食を切り上げるとか、高いモチベーションの維持によっていずれもたらされる成果物は、必ず再び万人の幸福に寄与し得るに違いないのである。確かにその点はある程度認めざるを得ない。しかしながら、その一方で、例えば老子のような先賢の意見も伺ってみたいとも思ったりもするわけである。まずは、やる気が出ないことを憂うべきかどうかということのあたりから、パンダも交えつつ、笹竹などくわえつつ、ゆっくりお話を伺ってみたい。