ローマ人の物語』 文庫版第31巻を読み終える。ピタゴラスイッチが好きな人なら皆そうなのだろうと思うけれども、そこにシステムがあれば、その全貌を窺い知ることに強く心を魅かれる性質である。そうした意味でローマ世界は非常に解り易く、仕掛けの一つ一つがとても興味深い。古代人が直面したさまざまな問題と、その解決のために生み出された工夫と、その本質が理解されないままに継承されやがて廃れていく様と、ローマに限らず世界の有様はその繰り返しである。人生が問題解決の連続体であるように、時代がというよりも人間の本能が変化を求めて止まないのだから、どんな理想も永遠も常にアンチテーゼでしか在り得ない。繁栄を誇ったローマもやがては滅ぶわけで、何事も変化するのだということに納得しない限り、幸福は永遠に手に入らないものなのかも知れない。哲人皇マルクス・アウレリウスが、戦陣にあって細々と書き綴った 『自省録』 のなかで、技術と知識のある魂とはどんなものかと自問している。
”−それは、始と終とを知る魂、すべての存在を浸透し一定の周期の下に「全体」を永遠に支配する理性を知る魂である”岩波文庫神谷美恵子訳)
マルクス帝はこうして文字に残しているけれども、ローマの歴代皇帝達がいずれもこうした魂の持ち主で、ローマの栄華はそうした魂の連携によって、ようやく滅びの宿命に抗い保たれてきたのではなかったかと思う。じきにローマは滅んでいく。納得しながら滅んでいくのか、それとも恨み喘ぎながら滅んでいくのか、この先がいよいよ気になってくる。文庫の続刊が待ちきれない。すでに完結している単行本のほうに手を出すべきかと書店をうろうろしてから何も買わずに帰ってくる。