野球選手になった夢を観る。自分は外野を守っていた。ここまでずっと同点のまま、試合はもう何年も続けてきいて、現在4,327回表。観客も、選手も、テレビ局もへとへとの様子だったが、自分は割りに元気で、外野のヤジを聞き流しつつストレッチなどしながらボールが飛んでくるのを待っていた。今度は4番打者だから帽子をかぶっておけと父が教えてくれたので、なるほどボールが飛んでくるのだなと納得してみたら、わっと観衆が騒いで、宵の明星かと見紛う白球がぐんぐん自分のほうに伸びてくる。これは試合の行方を左右するに違いない大きな当たりである。自分はその一球の重さを一瞬にして悟り、忽ち倦怠感と疲労感と虚脱感の三重苦に襲われたが、精一杯の誠意でもってこれを追いかけねばならない。海の底をもがくようにしながら一生懸命にバックする。まだまだ。まだまだ。碧空を仰ぎながらスタンドに入り、サンゴかイソギンチャクのような観客群衆を掻き分けて命からがら球場の外に飛び出し、まだボールが伸びるのを確かめつつ、財布からSuicaを取り出して電車に乗り、羽田で食事をしながら妻に連絡して着替えを持って来させ、ベルト着用のサインが消えたと同時に機長にボールの横に着けて飛んでもらえるように哀願し、彗星のように夜空をすべる白球の美しさについ見惚れつつ、アラスカあたりでのオーロラの影響が心配になってきてオーロラについてよく研究し、サンタクロースの進路も確認し、ニューヨークでは摩天楼に当たって跳ね返りはしないかとびくびくし、ウルバンバ渓谷を駆け巡ってマチュピチュの神殿の窓から何度もボールの位置を確認し、走りながら通り過ぎざま肩越しにトレビの泉へ小銭を放り込んでおき、あるときはサハラ砂漠の商隊に加わり駱駝の上でアラーに祈りを捧げつつ相手打者を呪い、あるときは見失ったボールの位置を知るため密林にンンパニ族の呪術師を訪ね、あるときはアラブの大富豪、ガンジス川では行者に混じって禊をしつつ追跡、長江の漁舟の上では酒瓶を片手に詩を吟じつつ追跡、メコンの川辺ではベトコンとオオナマズの気配に警戒しつつ追跡……春夏秋冬季節は移ろい、どこまでも外野フライを追い続ける自分はすでに老いの坂を迎えようとしながら、さぞかし人の心も変わってしまったのだろうと絶望しながらボールを追ったまま、ついにかつての球場に戻ってきたところ、観客たちに盛大な拍手で迎えられ、自分もまた精一杯の声を揚げて何度もそれに応え、そこへ落ちてきた白球をしっかりとキャッチして、スリーアウト。球場はさらに盛り上がって、4,327回裏の今度は自軍の攻撃である。打席は自分から始まることを思い出し、今度こそ相手軍を叩きのめしてやると再び闘志を燃やしながら陽気にベンチへ走っていく……どこまでもどこまでも走っていく……どこまでもどこまでも……そういうわけで寝坊したわけだが、頑張って起床。午前中の内に病院へ行く。薬局でも待たされたので都合2時間半もかかったが、待ち合い室で過ごす読書の時間もなかなか。