最近は抑揚のない週末ばかり過ごしている。しかし、今日はビッグイベントがあった。床屋に行ったのである。しかも特筆すべきことがある。いつも行く床屋にはABC3名の執行人が控えているのだが、Aさんは完璧主義で確かな技術に裏付けられた偏執的芸術家タイプ、Bさんは時代に敏感でバランス感覚に長けており技術力もあるがあえてそれを誇示しない道化師タイプ、Cさんは諸事控え目で静かで優しくその存在を感じさせずに事を済ませてしまう召使いタイプと分けられる。Aは力強く、Bは狡猾に、そしてCは優雅に、とでも言っておくか(ああこんなところにも、世阿弥後鳥羽院の歌舞理論にも金閣寺の階層構造にも匹敵するような三体論が待ち構えていた)。オレさまはこの3人のうちでは、Aさんに執鋏(いま作った言葉)してもらうことを常に期待しており、しかしなるべくその運命は神の手に委ねておきながら、しかもなぜかAさんに当たる確率が非常に高いためその度に信仰を深めてきたわけであるが、本日は常日頃から最も敬遠したいと感じているCさんに当たってしまったのである。特筆すべきこととはまさにそのことである。その程度のことと言ったほうが妥当かも知れない。前回Aさんに伝えたときと同じように 「短めでお願いします」 と伝えたのだが、切ってもらった髪の長さと重さはいつもの半分くらいで、しかもいつもの倍の時間がかかった。そのうえ作業している間はまったく ”切られている” という実感がないのである。うーむ。もっと髪を引っ張ったりして、意志とか決意をもって裁断して欲しい。案の定、途中でお腹が痛くなったりもしたわけだが、それでも彼女の仕事と人格を尊重したいので、急かすことはせずにじっと耐えた。これが私にとっての散髪なのである。散髪とはときに耐えることなのである。
貸本屋で借りていた 『YASHA夜叉』 は最後まで読み終わる。これでいよいよもう一度最初から 『イヴの眠り』 を読み直すことができる。『無限の住人』 の最新巻も読む。おやここにも 「凛」 がいる。これもシンクロニシティみたいなものなのか?