臨死!!江古田ちゃん』 のなかに、”妄想体質” をネタにした4コマがある。「今ここでこんなことをしちゃったらどうなるだろう」 と江古田ちゃんが考えている話であるが、自分にもこれと似た面がある。例えば、以前にWINSで不特定多数の人々と一緒にモニタを見上げているときにふとモニタのコードをハサミで切ってみたくなるような衝動に駆られたことがあった。もちろん馬券のせいではない(はずだ)。会議のときにも、つい皆が注目しているプロジェクタの電源を落としてみたくなったことがある。もちろん資料の内容のせいではなかった(はずだ)。スイッチを見るとつい可変性を確認してみたくなるのである。多数の理性ある大人達が自分の体を押さえ、自分はその中央で背伸びをしながら人差し指を前に差し伸ばし、大きな声で何かを叫んでいる、少しずつ、少しずつプロジェクタから引き離されながら。そういうイメージが頭に浮かぶ。カラオケボックスの室内照明を思い切り明るくしたくなったり、非常用停止ボタンを押したくなってみたりすることもある。壁に突き出た照明ボリュームに額を擦りつけるほど近づいて、何としてでも目の前のツマミを掴もうとしている自分の右手の指だの肘だの肩だの頭だのを、沢山の屈強な人々が取り押さえて全力で掴ませまいとしている(空想の世界で)。あるいは、すでに深い思慮も確かな意志もなく非常用停止ボタンを気軽に押してしまったその後で、列車の両端から駆け降りてきた車掌や運転士の吐き捨てるようにため息をつく姿を見せられたり、若い母親に赤子を乗せた乳母車で脛をつつかれたり、老人に弱々しくしく泣かれたり、スーツやネクタイに罵られたり、学生や生徒に冷笑されたり、翌朝のテレビ番組でみのもんたにまであきれられている事態を、ドア際に立って想像したりしながら通勤する朝もある。しかしそうした全ての衝動に対して、その都度、理性が押し勝ってきた。自分はこうして世界平和を守り続けているのであり、この戦いは自分が生きている限り延々と続けられるのだ。