風もなく、湿気もなく、強い陽射しに影ばかりが勢いづいて、まるで異国にでもいるような錯覚に身を委ねてみたくなる陽気である。しばらく部屋の整理などしてみようと試みたが、小一時間も書籍の砂丘を彷徨っているうちに、うんざりしてやめる。大バサミを手に庭に出て、小さなサツキの頭を坊主刈りにし、目に入る名も知らぬ草々を片端から掴んでは引っこ抜く。我が小さな庭国の従順な民草を育てるのは妻の仕事であり、反逆分子を弾圧するのはオレさまの仕事である。

次々に現れる反逆の芽を容赦なく摘んでいく作業をしばらく続けるうちに、絶え間なく降りそそぐ紫外線こそが神の言葉であり、そのあまりの厳しさにこのままでは焼け死ぬかも知れぬと身の危険に気づいたので、緑の粛清も半分まで済んだところでやめる。何事も中途半端であることに不快を覚えなくなったことを、堕落と呼ぶべきか、進歩と呼ぶべきか。

妻に誘われ着替えて出かけることにする。百貨店で紳士服のバーゲンセールがあるらしい。百年ぶりにオレさまの夏服でも買いに行こうというわけで、殺戮に酔った足でふらふらふらと電車に乗ってしまう。たちまち目的の百貨店についてみると、催事場のあるフロアは北海道物産展に集まる老夫婦や若い親子や孤独な学生で賑わっているだけで、他階にある紳士服売り場を覗いてみてもバーゲンセールどころか積極的に何かを売ってやろうという気概さえ見られない様子。念のため、妻のポケットから小さく折りたたまれた新聞広告を抜き出し、紳士服バーゲンの開催期間を確かめてみると ”5月から” とはっきり書かれている。うーむ。しかたがないので、北海道産のソフトクリームを1つずつ食べて百貨店を出る。

茶店の屋外席のひとつに陣取って、アイスティーを飲みながら少しだけ本を読み、建物の屋根を歩くハトの影が地面に伸びてコンクリートの上を行ったり来たりするのを観察し、市営バスの広い窓に反射する一瞬の光のうちに46億年の地球の誕生と死を妄想し、外国人からの通報を受けた警察官がハトの死骸を無造作に摘み上げるのを発見し、ときどき死骸を指で弾いて死骸であることを確かめつつ護送する警官の背中を見送り、入れ違いにやってきた毛並みの良い野良猫が生きたハトを襲おうとして失敗する場面を目撃し、大きなクスノキの無数の若葉が絶え間なくざわめくのを眺めているうちに陽が傾き始め、いよいよ肌寒さを感じたので家に帰る。

夜はテレビで 『トロイ』 を見る。トロイと聞いてスバシコイという古代都市名が頭に浮かび、アキレスと聞いてハルモアという勇者の名前を思いつき、アガメムノンと聞いてサゲスムノンという名の王が胸のうちで勝手に暴れ出すのを感じた。こんなことではいけないと思う。