恒例の三種会。両国駅前の 『ちゅらさん家』。多種多様な泡盛を、注文する度に度数を5度ずつ上げて飲んでいこうという危険な企画。
最初は、O西さんとオレさまはオリオンビール。O田女史はシークァーサー杯。それから順々に泡盛にはいる。誰がどんな銘柄を飲んだかあまりよく覚えていないのだが、くら古酒(25度)、島唄(25度)、残波(30度)、南南西(30度)、春雨カリー(30度)、老人と海(30度)、請福10年古酒(35度)、おもろ10年(43度)……etc.他にも思い出せない泡盛が不知数。特に ”おもろ” は非常に美味かったが、とても生のままでは自分の手には負えない。飲むことは出来ても、帰ることが出来なくなりそうだ。O西さんが注文したのを、時々ちょっと飲ませてもらうに留める。料理のほうも、夏への恋しさも手伝って、できるだけ ”うちなんちゅー” 気分を味わいたいので、パパイヤチャンプルーとか、海ぶどうサラダとか、リュウグウノツカイの刺身とか、普段は到底食卓に上り得ないものを注文してみたり。

酒の肴の話題には、たいがい大河ドラマの配役検討から入る。今後は清盛入道を誰にやらせるべきか、奈良平安を舞台にした魅力的なテーマはないか、貴族を主役にしたときにどこまで視聴者を繋ぎとめられるか、等等。じつは自分は平安貴族を主役にした大河ドラマを渇望している。できれば自分も端役で出演させていただきたいくらいだ。「誰かおらぬか、クーラーをつけよ」 とか 「ああそれテレビでみた」 とか、瓜食みつつもの思いなどしながら言ってみたい。臆病なうえに狡賢く軽調でありながらも時に雄雄しい、というイメージの平安貴族をいま一たび現出させてみたい。

大河ドラマの話から、緒方拳だの緒方直人だの名前が出てきたところで、ふと一心太助に話題が及んだ。O田女史が一心太助を知らないらしい。あきれつつO西さんが簡単に説明をしはじめたところ、突如はっとして 『釣りバカ日誌』 は、一心太助がモチーフでないのかと発見する。なるほど魚つながりで。そういえば、O西さんは近頃、金魚に感心があるらしい。熱帯魚ではなくて和金・琉金・蘭鋳のたぐい。昼休みに、職場の近くに金魚屋があるのを発見したときに、飼ってみたいと思っていると告白していたことを思い出したり。そういえばそのまた少し以前には、ジンベイザメの話や、シロナガスクジラの話もした。今日の一心太助の件といい、水に惹かれている様子。あるいは海洋民族としての記憶が覚醒したか。先週に続いて泡盛で酩酊しているこの状況も、あるいは筋書きどおりだったのではあるまいかと疑ってみたり。

行き詰まりかけている記憶術の話もする。現在注目しているのは、二桁までの百個の数字にイメージを対応させて、イメージの組み合わせで長い数字を覚えるという方法。言わずもがなの何でもアリの栗田式である。普通に覚えれば良いじゃないですか、とO田女史は早速興味がなさそうである。若さも手伝っているだろうが、彼女の記憶力はオレさまの数千倍はある。「それって、”数字の9じゃなくてオバQのQ” みたいなものかな」 と自分と同世代のO西さんは誠実に反応してくる。IT経験豊富なO西さんの脳に定着した記憶によると、電報、電話、電信の世界では、相手に文字を伝え間違えることがないように、「シジミの ”シ”」 などと喩えるためのマニュアルがあったらしい。自分が担当するユーザーのなかにも、電話口で 「TokyoのT」 とか 「ParisのP」 などと喩えてくれる女性がいるのだが、海外旅行が好きなのかなと電話の向こうに広い世界を空想したりしていたのだが、案外、マニュアルになっているのかも知れませんよ、とO西さんはいう。そういうマニュアルがあるのなら是非見てみたい気がするし、むしろ自分で作ってみたい衝動にかられる。記憶術に応用できるかも知れない。

泡盛のおかげか話題は尽きぬわけで、ぬいぐるみに話しかけるべきかどうかという議論もあって、O西さんなどは 「器物に念を込めるのは良くない」 と、真顔で言ったりするものだから心配になる。自分などはよく、ここで待っておれとか、来週は必ず空気を入れてやるからなとか、自転車に話しかけたりするのである。しかし、あまり器物を人間扱いすると本当に自我が目覚めて御せなくなるらしい。あり得そうな話である。そういえば6年ほど前の節分の頃に、付喪神の白昼夢を見た経験があることを思い出してみたり。カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ。

気が着いたら18時30分から23時30分まで5時間も泡盛を飲み続けていたわけだが、その割には、頭がすっきりしていて、ちゃんと帰れそうな気がする。