とにかく早起きをして、騒ぎ立てる妻に急き立てられながら家を出る。さくさく電車を乗り継いで上野駅に到着してみれば、もたもたしていたせいで10時過ぎにもなってしまったではないか大変なトラブルであると妻がぷんぷん怒る。国立科学博物館で今月の18日まで開催されている 『大英博物館 ミイラと古代エジプト展』 を観たがっている妻に手を引かれながら、どうせ空いておじゃるゆえ心配するなするな、と平安貴族よろしく優雅な牛歩ステップでミイラ参りに付き随ってみれば、予期に反して家族連れが続々到着中。国立科学博物館前の当日券売場上空には不穏な雲が立ちこめ、小学児童あたりの金切り声が、ミイラって本物? とか、ねーねー本物? とかしつこく母親に問いかけているのが聞こえている。つまり電源の入っていないパソコンは果たしてパソコンなのかどうかという哲学的な問題提起に違いないわけだがこれには対処が難しく、我々夫婦は戦火のただ中に放り込まれた二羽の兎のように真白き長耳を震わせて身を蹲らせつつ、人混みが苦手な妻などはすっかり腰が引けてしまい、また今度にすると降参して国立科学博物館前の大クジラに遠くから手を振った。

そこですかさず、それではすぐそこの国立博物館平成館にて開催中の 『悠久の美―中国国家博物館名品展』 展を観ることにしては如何なものかと提案する。オレさまはこのチャンスを狙っていた。こちらの展示会場も大変な混雑が予想されるが、妻はいま正常な判断ができる状態ではない。空いているから、絶対に空いているから、と適当なことを言いつつ妻を納得させ、そうと決まれば善は急げの善光寺詣り、大変な混雑ぶりに妻がもし観覧を拒んだ場合には、首輪をつけて本館前のユリノキにでも括りつけておけばよい。

さて両目をギラつかせながら足早に会場へと駆けつけてみれば、平成館は意外にも空いておる。うーむ。このあいだ観た 『仏像』 展にくらべると両国駅前とモンゴル平原くらい人口密度に差がありそうだ。いったいどうなっておるのか。しかも有り難いことに、ここで買った入場券1枚で、同時開催の 『マーオリ−楽園の神々−』 までもが観られてしまうらしい。一石二鳥とはこのことです。どうなっておるのか。天界に赴いて幸運配給表を確認しなければ正確なことはいえぬが、本日のオレさまには、かなり多めに幸運が割り当てられているのではないか。静かな雰囲気に満足した妻もスキップしながらついてくる。

ときどき若者のカップルも見かけたが、圧倒的に高齢の夫婦連れが多い。人気の有無などはともかく、展覧会場が空いているとは有り難いので、混み出さぬうちにとさっさと会場内をうろつき始めてみる。まず最初の展示物の前に立ったところで電撃。たちまち妄想の渦がうねうねとうねり始める。土器である。それがまるで中国さのカケラもない、ギリシャキプロス島あたりから拾ってきたのではないかと疑いたくなるほどに幾何学模様が美しい土器なのである。これが5千年前の地層から出土。うーむ。以前に、吉田敦彦という人が書いた 『日本神話の源流』 という新書を読んだ事があるのだが、そこには、オルフェウスの冥界訪問とイザナギの黄泉国紀行との類似性など数々の神話における共通点に着目しつつ、日本とギリシヤあるいはイラン系遊牧民あたりとの間に何らかの繋がりを見出そうという仮説が展開されており、読み進めるほどについついこれを信じたいと思う側に引き込まれてしまったものであったが、それをあたかも証言するかのように何食わぬ顔でこの彩陶罐の登場である。5千年前の世界から。うーむ。もしかして、東洋世界と西洋世界とは本当に遠い遠い先祖の時代において繋がりがあったのではないか。うーむ。まあ、いいか。

新石器時代のものはわずか数点ではあったが、4千年も昔の陶器や玉器の洗練されたデザインを目の当りにしながら、中国大陸の圧倒的な年輪の深さに畏敬の念を抱きつつ、すぐに展示内容は青銅器の時代にはいる。個々の解説文に 「商」 とあるのでもう売約済みかと思ったら、じつはこれは殷王朝の正式な国号で、”殷”という文字には呪いの意味があるらしく、他国が与えた蔑称のようなもので、このような国家的なイベント会場では 「商」 としておくのが無難なのには違いないが、オレさまのこのささやかな独白のなかでは判り易く 「殷」 と記してみたい。

オレさまの目的は、この殷の時代の青銅器を見ることにあった。本格的な饕餮文というものを直にこの目で観てみたかったのである。多くの人が知るように、殷の時代のあらゆる青銅器には ”饕餮(とうてつ)” といわれる獣の顔が浮き彫りにされているわけだが、そればかりでなく写真ではよくわからないような細部にわたって執拗に渦巻き装飾が施されている。実際、今回は中国文明の入門書などで見たことのあるような青銅器が多数出展されているが、酒甕にしろ、大きな煮鍋にしろ、うぇあ。気持悪るぃ。と思わず背中をむずむずさせたくなるような異様な渦巻文様やギザギザがびっしりと器の周囲に施されておるではないか。ううう。改めて曇りなき眼で確認致しましたところ、そのおぞましさを再認識した次第であります。

4千年も昔のことであるから青銅器は決して容易に手に入る代物ではなかっただろうし、当時の品物で4千年の時を経て後世にまで形を残せたものはあるいは青銅器くらいしかなかったのかも知れないから、これらの特殊な遺物だけを眺めて殷王朝を断じるにはかなり無理があるかも知れないが、あえて言いたい。殷人は我々人類とは明らかに異なる何物かである。(ほらな。これを 「商人」 と書いたら誤解が生じるであろうよ)

とにかく、殷のその異様な青銅器群を一目見れば、殷人の精神構造が到底理解の範囲外にあることが直感できる。どう考えても同じ人類の感覚から生まれたものとは思えない。貴重な素材を溶かして拵えた異形の器に、異様な細工を執拗なまでに施して、そこになみなみと酒を蓄えて、自分が飲むのか先祖を祭るかは解らぬがそんな雰囲気での酩酊。よくわからない模様の意味。よくわからない情熱。他のいかなる地域のいかなる時代に対しても決して覚えたことのない種類の違和感。

展示されている青銅器のひとつに、断首用の大きな斧の刃があった。こういうものを鉞(エツ)というらしいのだが、このように暴君ハバネロみたいなデザインを施してしまうのが殷人である。趣味の悪さは極まるところを知らない。殷王朝といえば酒池肉林だの炮烙の刑だの、みんな姐己や紂王ばかりを悪し様に言うことが常だが、社会そのもののグランドデザインがあきらかに違うのである。こういうものを見せられると、かつて遠い昔に、殷人のような 「異種」 と我々 「ヒト」 との間に大がかりな階級闘争が本当にあったのではないかと思われてくる。周が殷を討ち、同じように世界各地の人類が実際に神話に描かれた魔物のような異種を追放し尽くすことに成功し、それからまだわずか数千年しか経っていない新しい時代、我々 「ヒト」 の時代がいま廻ってきているだけなのかも知れない。

このあと、少しずつ年代を下って、唐の時代あたりまで展示資料は続くわけだが、玉衣だの兵馬俑だの三彩だの貴重なものばかりで見応えの博覧会なのである。なかでも、倭国に授けられたものと同じような金印を漢王朝から与えられていた 「滇(てん)」 という王朝に関する資料が面白い。どうにも気になる国である。とりわけ彼らの水牛へのこだわりが気になる。もっと詳しく知りたいと思う。

悠久の中国を離れ、さらに同じ券で入場できる 『マーオリ〜楽園の神々〜』 展も覗いてみる。ほら高床式倉庫があるよと独り合点したりする。以前に、吉田敦彦という人が書いた 『日本神話の源流』 という本を読んだ事があるのだが、そこには日向神話と南洋の数々の神話との類似性、オオゲツヒメ神話とセラム島ウェマーレ族のハイヌウェレ神話との類似性など数々の神話のエピソードに着目しつつ日本と南洋の島々人々との間に何らかの繋がりを見出そうという論が展開されており、読むほどについついこれを信じたいと思う側に引き込まれてしまったものであるが、まあ、いいか。

大きな木材に彫り込められた精霊の、極端にデフォルメされた姿形に見惚れながら、寓意を好む西洋人はその構図に説得力を与えるために写実性にこだわる習慣ができたのではないかと想像してみたりする。あるいはその逆かも知れないが。マオリギリシャとの違いとは、即ち吉本新喜劇江戸落語の違いのようなものか。だから南洋の神々の記憶も、ギリシャの神々の記憶も、どちらも日本人にはあると思いたいわけで、まあ、いいか。

3時間ほど博物館の中にいて、時計を見るともう午後1時である。渦巻き模様を眺めすぎたせいかラーメンを食べたいと妻が言うので、上野中央通り界隈を歩いて見つけた 『刀削麺荘』 という中華料理屋に入る。本当は札幌ラーメンのような味を求めていたのだが、店の前に立っていた兵馬俑のレプリカについ運命を感じてしまったのである。自分はタンタン麺式刀削麺を、妻は野菜たっぷり精進風刀削麺をそれぞれ注文して食べる。パクチ苦手である自分を発見する。しかも意外と負けず嫌いである自分も発見する。店を出て自宅までの帰り道の途中に本屋に寄る。中国古代文明に関するできるだけ如何わしげな本を探してみたが、これというものが見つからず。失意に身を焦がしながら帰ってくる。共同通信杯は寄り切ってフサイチホウオーの勝ち。4連勝。どうやら本物らしい。