Vistaの発売が近いということで、新しい文字セットへの心構えを今更ながら新たにしようと思い立ち、同僚に 「JIS2004」 までの背景を少し教えてもらう。サロゲートペアの存在にあきれ、ユニコードコンソーシアムを叱ってやりたくなったりもしたが、叱ってや……この字じゃない! まあ、いいか。これまでにも何度も取り沙汰されてきた ”森鴎外” という文字列と、その正字体のサンプルとの比較画像を眺めながら、オレさまは平野啓一郎の 『文明の憂鬱』 のなかの一文を思い出した。

”同じ旁や偏をもつ二つの漢字の間で、徒に一方にのみ何か蒼枯とした骨董品めいた意味が付されることは好ましいことではない”
平野啓一郎 『文明の憂鬱』)

彼はこの文章のすぐ後で、別に略字体を支持するわけでもないがとも断ってはいるが、あるものを表す記号が、純粋に記号としての役割を超えてしまうことに、記号という器具の使い手として何らかの危惧を抱いているのであろうと思う。あるいは、いずれ何年か先には、我々が大陸の簡体字とも折り合いをつけねばならぬ日の来ることを予言するものかも知れない。けれども、山田里見先生を敬愛するオレさまとしては、書かれた文字そのものの魔力や神秘性を信じているので、略字と正字は厳密に明確に詳細に区別してもらいたい。できれば普通にIMEで古代文字も使えるようになると良い。自分の首を絞めようとしているような気もするが、まあ、いいか。
夜はまた送別会。職場を去っていく戦友を、こうしてお酒を飲みながらもう何人見送ってきただろうか。