社会人の生活では記憶力を試される機会は少ない。むしろ記憶に頼るような仕事のやり方は危ういとさえ指摘されかねない。普段から、ノウハウにしろ数値にしろできるだけ電子化して、他の社員とも共有するように求められる。「私が死んでも代わりはいるもの」 という綾波レイの言葉は、ときどき冗談交じりに職場の誰かが口にする。

そういうわけで、社会人生活の長いオレさまの記憶力は、もうずい分と弱ってしまっているはずだ。もともと学生の頃から暗記は苦手なほうである。人間の記憶力を疑ってきたところもある。だから、記憶するという行為は最小限にとどめてきた。ていうか、記憶するという行為のしんどさにうんざりして、できるだけ遠ざけて(ときには逃げて)きたというのが実際のところか。

思春期の頃から、忘却の川というものがいつも脳内に横たえているのが見えていたが、その川もいまは激流と化してしまっている。”ころは正月廿日あまりの事なれば、比良の高嶺、志賀の山、昔ながらの雪も消え、谷々の水うち溶けて、水はをりふしまさりたり……”、うーむ。八百年前の宇治川くらい冷たそうである。忘却の激流に逆らって泳ぐわけだから、全力で反復想起して泳ぎ続けなければ流されてしまいそうだ。けれども、ある程度まで泳ぎきれば、長期記憶の湖に到達することができる。できるはずだと信じて、「泳ぐ」 「永遠」 という言葉にかけて 「詠む」 を選び、まず百人一首を覚えようとしている。いまのところ70番目くらいまで覚えた……覚えたつもり。覚えようとして符号化まではしたつもり。ところが、なかなか頭に入ってくれない歌が何首かある。例えばその ”なかなか” という言葉を含んだ歌の、

 あふことのたえてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし

という44番目のやつもその一つ。映像に繋ぎにくいのが難点。詠者の藤原朝忠三十六歌仙のひとりか。やってくれる。そういえば、その前に障壁となった18番目(住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ)の詠者、藤原敏行朝臣三十六歌仙のひとりだったな。まるで悪の組織 「ハンドレッドポエッツ」 と戦う、記憶の戦士「スイマー」になった気分だ。主人公は普段は公営プールの監視員で……まあ、いいか。幹部クラスはなかなか手強いということだ。

18番のときはいろいろ映像化してみたりしてなんとか記憶に収めた。たぶん18番はもう忘れないだろう。この44番もどうにかしようと思うので、ひとまずブログに書いてみる。あの ”ざらまし” っていう所がなかなか。