定時で退社して、スポーツクラブへ行く。やはり筋力が衰えている。
帰宅後、夕食を摂りながら、陳玄奘がなっぜ西天取経の旅に出ることになったか、その経緯を妻に説明してやる。この部分は、孫悟空が五行山に封じられたその五百年後、とある漁師が樵夫に 「近頃は長安の易者が良い漁場を教えてくれる」 と自慢するあたりから始まるのだが、龍王や唐太宗(李世民)や閻魔大王を巻き込んでなかなかに良く工夫されたエピソードなのにもかかわらず、たいがいのドラマや人形劇では省略されがちな部分なのである。ついつい熱く語ってしまった。

かくして唐の玄奘は命を賭して西域に旅立つ。なんのためか。あるものを持ち帰るためである。それは貴重な薬草でもなく、珍しい品物でもない。それはただの言葉なのである。紙切れに書かれた先賢の言葉なのである。自国の万人にその言葉を聞かせるために、彼はひとり命懸けの旅に出た。さらにその唐に持ち帰られた言葉が知りたくて、日本から唐へ向かって命懸けで海を渡った人々もいた。人はパンのみに生きるにあらずとは斯くの如しである。