朝6時半に目が覚めたのだが、疲れているはずだー、まだ眠り足りないはずだー、と自問自答してさらに4時間眠る。TAD氏との酒宴の最中で一昨日みたいに居眠りしてしまっては失礼なので、十分に休息をとっておかねばな……そんなふうにして、もう一度目が覚めてみるとだいぶ雨が強まっていた。

とりあえず床屋へ行こうと思っていた。着替えて、駅前まで傘をさして自転車を漕いでいく。すっかりずぶ濡れになって、いつもの床屋の前に自転車を止める。店に入ってみると大混雑状態である。中途半端な長髪老若が100人くらい、狭い待合に犇めいている。鬱陶しくなって店を飛び出し、さらに自転車を漕いで、他の床屋を覗きまわってみたが、どこもかしこも満員である。いったいこの国に何が起きたのか。

仕方がないので、矢沢永吉のCDでも借りて帰ろうと、TSUTAYAに飛び込んでみたりする。ところが、アイウエオ順に数えてみれば 『や』 のところにない。山口百恵山下達郎のCDはあるのに、矢沢永吉のCDがまったくない。もしかして、”E・Y” なのかも知れないと思い直して、『い』 や 『え』 も探してみたがさっぱり見つからない。

どうなっておるのだ。

こうなったらと、クラシックやジャズやアニメもふくめて全部の棚を、矢沢永吉のCDを探して回ってみる。そうしてみたらなんと、J−POPとは別に、ニューミュージックという小さな棚があって、その一番下にまとめて置かれてあるのをようよう発見する。ちょっと腹が立った。別に矢沢永吉の熱狂的ファンではないが、レコード屋がくだらない分類をするな。とにかく今の社会は、世代間交流に対して消極的である。古いものでも新しいものでも、同世代で楽しむことばかりを推奨して、10代の若者が集まって50年代の音楽を語り合うとか、50前後の中高年が集まってカラオケ10番勝負とか、そんなことばかりしていても新しいモノは生まれない。せめて音楽や絵画や文章など資料を提供する側には、世代の壁を超えた公平さをもって資料の価値そのものを主張してもらいたいものだ。帰宅して、しばらく矢沢永吉のCDを聞く。カモン、デイブレイク!

オケラオーから電話。アドマイヤメインが勝ってしまいそうで不安で不安でもう3日も寝ていないのだ、というので、寝ろ、とアドバイスしてやる。

テレビで白百合ステークスを観る。キャプテンベガはもの凄く弱い。もの凄く芯がもの凄く細いのである。しかも我儘。「坂道が嫌い」 というからら、わざわざ平坦な中京コースを選んで調整してきたのに、今度は 「雨がイヤ」 である。カモ〜ン、デイブレ〜ク!

まだ明るいうちから家を出て、散歩がてら待ち合わせの池袋へぼちぼち向かう。TAD氏とは数年のあいだに何度もメールのやりとりをさせていただいてきたが、直接お会いするのは本日が初めてである。ダービー観戦のため東京まで出てこられるというので、自然に 「では会ってみますか」 ということになり、いまは池袋名所と言われるまでに出世した ”いけふくろう” の前で19時に待ち合わせたのは良いが、TADさんの素顔はデジカメ写真の静止画像でしか拝見したことはないし、オレさまは携帯電話とかケータイとか持っていないし、こちらの外見的な特徴といえば、背中に蝙蝠型の翼が生えていることと、目が三つあることと、炎を吐くことくらいである。うまく合流できるだろうか、と心配しながら池袋まで電車に乗ってやって来てみれば、さっそくいま降りた列車に傘を忘れてくる。

夜中まで飲めば、帰る頃には傘を売っている店も閉まっているだろう。濡れれば風邪を引くほど抵抗力が落ちている今日この頃である。仕方なく池袋駅地下のショッピングモールで傘を1本買う。もう一度失くしても良いように安い傘を見つけるのにだいぶ時間を要した。やれやれ。と額の汗を拭おうとしたら、ハンカチも忘れてきたことに気づく。慌てて東武百貨店の2Fでハンカチを1枚買う。レジでだいぶ並んで待たされた。やれやれ。これでは 『串政』 に入る前に財布が空になってしまうぞ。そういえば東スポもまだ買っていなかった。遺憾、遺憾。やはり競馬ファン同士、特別3鞍の確定枠順くらいは暗記しておかねば失礼だろうな。

携帯電話どころか、腕時計すら持たない主義であるが、ふと、どこかの壁掛け時計を覗き込んだら、すでに18時50分である。遅刻するよりは早く行って地の利を得ておくべきと判断して、決然と ”いけふくろう” に向かう。まだ約束の刻限には約5分つまり約300秒あった。果たしてTAD氏はどこからくるか、正面の地上へつながる階段か、パルコのエレベータ付近からか、西武百貨店方面からの連絡通路からか、あるいは公衆トイレからか、まさか女子トイレからか、いやこのフクロウの中に潜んでいるかも知れぬ。

そういうわけで、緊張しつつ注意深く、遠巻きに ”いけふくろう” に近づいていったわりに、あっさりとTAD氏を発見する事ができてしまった。何しろとても背が高かったのでとても良く目立ったのである。軽く挨拶して自己紹介しつつ、実はまだ新聞を買ってないのです、と告げると、なにまだ待ち合わせの時間には間がありますから買っていらしてください、と促されたのでお言葉に甘えて売店のほうへ一人で歩き出す。それにしても大きい人だ。身の丈40mはあろうか。売店東スポを買ってまた ”いけふくろう”に戻ってみると、TAD氏の隣にもう一人、大きな人が立っている。TAD氏の弟さんの張飛さんに違いない。また軽く会釈する。夫人のこあらさんは少し遅れるということなので、早速、3人で 『串政』 に向かう。

『串政』 はいつも以上に繁盛していた。店の前に空席待ちの行列が出来ている。予約しておいて良かったと安堵しつつ、ちゃんと予約できているだろうかと不安になったりしつつ、二人の客人を促しつつ店に入る。ちゃんと席は用意されていた。卓につくなり、もしかしたら2時間でテーブルを空けていただくかも知れませんと店員に泣き付かれる。すべては運命のままに。

やがて張飛夫人のこあらさんも現われて、いよいよオフ会の始まりである。初対面でありながら、やはりTAD氏とはメールでのやりとりをしていた分だけ旧知の仲という実感があった。オフ会はじきにTAD氏から弟さん夫婦へオレさまを紹介していただくような様相を帯びていった。

ネクタイを締めた張飛さんは、とても落ち着いた雰囲気のある人で、青春時代にはヘビメタだったと聞かされるまでは、レッド・ツェッペリンでギターを弾いていた人だと思っていた。主にブラックサバスが好きでしたね、などとうっかり言い出さなければ、じつはジミー・ペイジ本人であると言われても驚かないだろう。いや、本人だったら驚くよな。サインください、って英語で話しかけちゃうな。オレさまがついうっかり勧めてしまったレバーの串焼きを、苦手であったにもかかわらず快く平らげてくださったあたり、やはりジミー・ペイジらしさを漂わせている(意味不明)。お酒は比較的にモルトが好きだそうで、シングルモルトとピュアモルトの意味の違いなどを丁寧に教えてくれた。カレーが好きだというので、オレさまの知っている店を教えて差し上げる。(「”十字屋” というカレー屋が美味しいです」 と伝えたのが実は間違いで、本当の店名は ”丁字” というのが正しかった事を自宅に帰ってから思い出した。それにしてもいい加減な映像型記憶である)

張飛夫人のこあらさんは、日本語と英語の講師をされている。どちらもオレさまの苦手分野である。しかも、中国に住んでいたことがあって中国語も話せるらしい。でも数字のカウントは苦手で 「六」 から上あたりではときどき間違うのだそうだ。数字と方角しか言えないオケラオーとは大違いである。オレさまが近頃中国語に凝っていることをTAD氏から聞かされているらしく、勉強は捗っていますか、と聞かれてしまった。中国語で質問されないあたり、実力はすっかり見抜かれている。それにしても、とてもコミュニケーション能力に長けた方で、やや緊張気味のオレさまの発言がとかく尻切れトンボになりがちなのを、何度も自然な感じでフォローしてくださった。

皆さん、何でも飲まれるということで、最初はビールだったが、TAD氏などはすぐに焼酎に切り替えた。オレさまも後を追う。張飛さんも焼酎。こあらさんは間に日本酒を挟んでから焼酎に辿り着く。それにしてもTAD氏は底が抜けた樽である。促せば飲むし、飲めばすぐにグラスが空になる。
本人曰く、事前にリポビタンDを飲んでおくと酔わないのだそうである。不思議。

もしも、2時間で追い出されたならカラオケに行こうと決めていたのだが、だんだん店の様子が落ち着いてきて、22時を過ぎても追い出されることはなかった。それでも話すべき事柄が多すぎて、時間はいくらあっても足りなかった。結局、23時過ぎまで飲み、いずれまた集合することを約束して解散。