朝の満員電車のなかに熱く抱擁し合う男女がいた。
あまりに幸福そうだったので、思わず自分も抱きつきたくなる衝動にかられたが、
列車が丁度ホームに止まったので、辛うじて自分の生活空間に戻ることができた。
恐るべし愛の誘惑。

コンビニでお昼の弁当を買ったら、お釣りに汚れた百円玉を渡された。
財布のなかに入れておくのがイヤだったので、さっさと使ってしまおうと、
職場の自動販売機に投入してみたら、さっさと返却口から出てきてしまう。

おやおやこの子はと思いつつ再投入するとまた戻ってくる。何度やっても同じ。
試しに他の百円玉を入れてみたら、ちゃんと投入金額のランプが点いた。
自動販売機が壊れているわけでも、オレさまが壊れているわけでもないようだ。

そのまま缶コーヒーを買って、手元の汚れた百円玉をしげしげと眺める。
なんだか百円玉独特の迫力がない。表の桜が重厚感に欠けているように思われる。
もしかしたらこれは偽造硬貨かも知れない。真作と比較してみたいのだが、
生憎最後の百円玉をさっき使ってしまった。

昼休みにM村君と世代について少し話す。
十干十二支の話が出てから自分の生まれ年の干支を調べ始めたら、
そのうちに特別な年齢についての特別な呼び方の資料が出てきた。
例えば、77歳なら 「喜寿」 とか、88歳なら 「米寿」 とか、
そういうやつである。

上述の2つは知っていたが、88歳 「傘寿」、90歳 「卒寿」、
108歳 「茶寿」 などは初耳である。とはいえ、漢字の構成要素に数字を
あてたという点では喜寿や米寿と同様に導き出されたものでやや新しさに欠ける。
ところが、99歳 「白寿」(「白」の字は「百」から「一」を引いてできるから)
という逆転の発想が加わるあたりからややマニアックな空気が漂い始める。
これを応用した 111歳 「皇寿」 なんていうのもある。

これにはM村君も触発されたようで、我々ならもっと斬新なものが作れるの
ではないかという意見があがった。ちなみに、112歳「珍寿」という、
むちゃくちゃなのもあって、その理由が、ここまで生きる人は珍しいからなのだ
というのだが、もはやサイボーグ時代となった現代ではこれも時代錯誤の不適切な
表現であると評価せねばなるまい。

そういうわけで、ここにタイミング良く漢字検定2級のO田女史が加わって、
我々の手によって新しい年齢表現を考案することになった。

 汁寿=30歳( 三十 だから )
 余寿=89歳( 八十八 に 一 を加えるから )

これらはまだ練習の段階。先轍を踏んだだけのことだ。

 栞寿=2018歳( 千 + 千 + 十 + 八 だから )

やはりこのくらいやらないと、サイボーグ時代には追いつかないだろう。
さらに 「イ(にんべん)」が、「千」 から 「一」 を引いた形なので、
これで999を表すことができる。これを用いれば、1000〜2000歳前後の
細かい制御ができそうだ。

 休寿=1017歳( 999 + 十 + 八 だから……ていうか少し休めと。 )
 伯寿=1098歳( 999 + 99 だから )
 倖寿=1129歳( 999 + 十 + 一 + 八 + 一 + 十 )
 任寿=2000歳( 999 + 千 + 一 だから )

それぞれの年齢に達したらお祝いをすることにしよう。

午後、仕事で日比谷に出かけた帰りに、両国駅で切符とSUICAを見せながら
JRの改札を抜けようとしたら、窓口でバーを操作してくれた初老の駅員が、
「チャージしておくと改札機で抜けられますよ」
と親切そうな口調で教えてくれたので、すぐに引き返して、
金利をつけてくれるなら考えましょう」
と言い返してやった。
ずっと前から言ってやりたいと思っていたので、すっきりした。
これからも世間の手を患わせ続けながら生きてやる。

やっと読み終えた3冊の長編ドラえもんをO谷君に返す。
しずちゃんの入浴シーンも確認したし、もちろん3冊とも最後まで読んだ。
帰り際に、また3冊貸してくれたので有難く拝受する。

地下鉄に乗ったら、犬がいてビックリしたがすぐに盲導犬だと知った。
サングラスをかけた飼い主が一般の座席シートに浅く腰掛けていた。
その足元の床の上に、犬は静かに伏せていた。とても偉い。

列車が次の駅に着くと、犬はすくと立ち上がった。
そうして、飼い主ともども無言で列車を、そしてホームを、去っていった。
軽い足取りで歩いていく盲導犬の後ろ姿に男を感じた。
牝だったらごめんなさい。