「幼いあんたをピカソ展に連れて行ったのが間違いだった」

とうに還暦を過ぎた母はいまでも息子に向かって、あからさまに後悔を表情に
浮かべながらそう述懐するのだが、オレさまにはそんな母の嘆く姿こそ、
名画 『泣く女』 そのものに見える。とはいえ、そもそもオレさまのほうには
ピカソの展覧会を観たという記憶さえ無い。

むしろ、子供の頃に観に行った 『トレチャコフ・プーシキン美術館展』 には
少なからず影響を受けたような気がする。

とくに、カジミール・マレヴィッチの 『黒い四角』 は忘れない。
タイトルのとおり、キャンバスに黒い正方形を描いただけの絵(?)だったからな。
いやその絵の構成が単純で覚えやすかったこともあるが、それよりも、黒く塗られた
画面を熱心に覗き込んでいる大人たちの姿に、愚かだと感じたのをよく覚えているのだ。

絵画なのだから黒く塗っただけであるはずがないという固定観念と、その黒い四角の
中に何かが描かれていることを誰よりも先に見つけ出してやろうという功名心とが
遠慮深げに見え隠れするその場の異様な空気に、子供ながらに嫌悪を感じたのだった。

黒い四角はただの黒い四角なのに、なぜそれ以上であることを期待するのか。
初めて 『印象』 を目にした人も、初めてフォビズムに触れた人も、これと同じような態度で
作品の前に立っていたのかも知れない。あのときの嫌悪感が、良きにつけ悪しきにつけ
オレさまの生い立ちに大きく影響してきたことを、オレさまは認めなくてはならぬ。

というわけで、今週末には上野に行くことにした。