O谷君が、また大長編ドラえもんを3冊貸してくれた。

本当は忙しいのだけれどなあ、読む時間があまりなあ、とブツブツ言い
ながら素直に受け取ると、隣に座っている、何でも先輩に聞けばいいやと
思っている新人のO田女史が、『ドラえもん』 って面白いですか、という、
少し意外な質問を投げてきた。

なにしろ彼女はアニメ好きであったはずだから、この反応は興味深い。
もしかしたら、もはや 『ドラえもん』 はアニメではないのかも知れない。
それはちょうど、『サザエさん』 をわざわざアニメと呼ばないのと同じ
ようなことなのかも知れない。ある意味で 『ドラえもん』 は、そこまで
日本社会に浸透してしまったことを意味するのではないか。

それでもとにかく、 ”ドラえもん世代” は現在の日本社会に大きな影響力
を育みつつあることは間違いない。21世紀の日本社会の本性を正確に読み
取りたいビジネスマンにとって 『ドラえもん』 は必読書の一つなのだよ、
とオレさまの考えを、何でも先輩に聞けばいいと思っているが必ずしも信用
できる先輩ばかりではないことに気づき始めているO田女史に伝えてみる。

すると、では ”ドラえもん世代” とは何歳くらいの人々ですか、とまた質問
された。何でも先輩に聞けばいいもんと思っている割には、なかなか良い質問
なので、さっそくインターネットで調査してみる。

ドラえもん世代” をキーワードにググると、沢山ヒットしたのだが、
会話のなかで平気で使われている割にはその定義は漠然としたままのようだ。
しかし、漠然としてはいるけれども、一部の人々の間には、”ドラえもん世代”
としての自覚が確かにあるようではある。

ドラえもん』 の原作漫画は、1969年に小学館の子供雑誌で連載スタート
したのだが、本当に子供達の精神構造に影響を及ぼし始めたのは、やはり
大衆文化洗脳装置であるテレビジョンを媒介として日本全国の平和で退屈な
お茶の間にアニメーション放映され始めてからだと思われるので、まずは
1973年の日本テレビ系列でのアニメ放映開始をその端緒として考えることも
可能だが(オレさまはこの時期に見た世代である)、このときはわずかに半年
で放送中止となったようで、そのために影響は少なかったものと思われる。
現にオレさまにとっての 『ドラえもん』 は、ただの未来世界のネコ型ロボット
に過ぎない。

問題の ”ドラえもん世代” を生み育てたのは、それから6年後の1979年に
テレビ朝日系列で再度放映開始されたアニメだったと推測する。発達心理学
な見地に立った一般的に影響を受け易い年齢というのがよくわからないので、
仮にこの1979年に6歳未満だった幼児をその最初の世代と考えると、
1973年生まれがその第1期生となる。

さらに問題は、”ドラえもん世代”としての実感がない若者がすでに成人
しているという事実をどう解釈するかだ。それほどまでに社会に浸透している
のだと取るべきか、あるいはある時期から 『ドラえもん』 を正統文化として、
若者の間に敬遠する傾向が現れたのか。後者の場合なら、”ドラえもん世代”
には終わりの年が存在することになる。

少なくとも1980年代初期生まれのO田女史にはピンとこないようなので、
(サンプルとしてはかなり飛躍があるかも知れないが)乱暴に考えてみて、
1973〜1980に生まれた男女を ”ドラえもん世代” であると仮定したい。
要するに、ドラえもん世代は、ほぼ団塊Jrと呼ばれる世代を包含する。

我が子との間に、何でも気軽に話し合えるような友人関係を築こうとした
団塊の世代であるが、当の子供たち(=ドラえもん世代)は、子供同士の
コミュニティを優先させて、大人たちとの純粋な情報共有を拒んでいたの
かも知れない。それはあたかも、のび太が両親に悩み事を相談することも
なければ、両親を外出に誘うこともないようにである。

そんな妄想をオレさまが妄想している間、O田女史もインターネットで
なんだか昭和の時代を調べながら、なんだか矢継ぎ早に質問を重ねてきた。

  昔は ”サラリーマン新党” なんてあったんですねえ (あったねえ)、
  『サザエさん』 と 『ドラえもん』 ではどちらが古いのですか (え!)、
  昔の人は本当に土曜日も出勤していたのですか (おいおいおい)、
  『積み木くずし』ってなんですか (知らんのか)、
  あ、チョウチクンてこのころから活躍していたんですね (誰それ?)、
  囲碁の対局はいまもテレビで観てるんですよ (あ、『ヒカルの碁』 の影響か!)

……来た。本当に来た。本当に世代間のズレいわゆる generation gap 
を体感するときがオレさまにも来たのだ。1980年代生まれのO田女史は、
まさしく地球外文明からやってきたエイリアンです。