今日が終戦記念日だということで、
隣りに座っている何でも先輩に質問すればいいと思っている新人のO田女史が、
昭和天皇終戦詔勅が放送されたのは実際に何時頃だったのかと聞いてくるので、
検索術の達人であるオレさまは、仕方なく 「玉音放送」 でググってやった。
その結果、意外な事実に出くわしたのである。

まず放送があったのは、昭和20年8月15日の正午だった。
これは、毎年、甲子園球場で黙祷が捧げられるタイミングと一致しているので、
まあ、ある程度は予測していた結果だった。

問題は、その終戦詔勅の草稿を完成させた人物なのだが、なんと、
安岡正篤(まさひろ:IMEで変換してこの漢字が候補に挙がらないのは問題かもな)
だったというのである。この人は 「平成」 の元号を考案したことで有名な人なわけで、
オレさまも何冊か彼の思想に関する書籍を読んだことがあるのだが、まあしかし、
何者なのだろうなこの人は。陽明学者だということは知っておるが。
まあ、それはそれとして。

問題は、さらに安岡正篤という人物についてO田女史に追加質問されたために、
再び、「安岡正篤」 でググってみることになったわけだが、そこで、もっと仰天させ
られる事実に行き当たったのである。なんと安岡正篤は、死の間際に、あの占い師の、
細木 (ズバリ言うわよ) 数子と結婚していたらしいのである。
ううーむ。恐るべしは細木 (こうすると検索にかからない) 数子……さん。
これからはもう絶対に呼び捨てにはしませんから、
僕にはズバリ言わないで。